Monthly Archives: 12月 2008

疲れる飲み会

昨日はグループの忘年会だった。
18時前から飲み始め、終わったのが22時頃。
ただただ疲労感の残る、実につまらない飲み会だった。

うちの職場のグループは総勢4名のこぢんまりとしたグループである。
毎日和気藹々とした雰囲気の中で仕事をしていて、職場の中ではいい意味でも悪い意味でも潤滑油的な役割を果たしているものだと思っていた。

ところが。
昨晩の席上、ある一人が発した一言から、とんでもない方向に話は進み、掴み合いあるいは殴り合いになるんじゃないか、というぐらいまでヒートアップ。3名はそれぞれを槍玉にあげ、さながら3WAYマッチの様相を呈していた。その中にあって何とかみんなを落ち着かせようと、必死になっていたのが僕。それはまるで、レフェリーみたいだった。
それにしても、いくら飲みの席上とはいえ、個人攻撃をするとはいかがなものかと思う。しかも、少なくともあと3ヶ月、一緒に仕事をする相手なのだ。いい年扱いた大人(40代~50代)が、ここぞとばかりに放言し放題の姿を見て、すっかり僕は呆れきってしまい、最後は匙を投げ出した格好に。
結局僕が「もう、電車の時間があるので帰ります!」と言い放ち、3者リングアウト。
その後どうなったのかは知らないが、今朝は非常に気分の悪い目覚めだった。
せっかく気分良く飲んでいたのに、一瞬にして酔いから覚めた。というか、こういう飲み会もアリなのかもしれないけど、互いを貶す姿を見て飲む酒ほどまずいものはありませんな。
あーイヤだイヤだ…。

Apple狂想曲がまた始まった…


Apple Store(Japan)

ここ数日二桁台、それもかなり低い数字でのアクセス数しか記録していなかったのに、昨日突然300件を超える伸びがあった。

ははぁ…これは何かあったな、と思ったら、何のことはない、今年は販売しないのだろうと思っていた「Apple Lucky Bag 2009」の販売が昨日から始まり、どうやら今年の中身を公開しているこのブログにアクセスが殺到したらしい。

そうそう、今年はいきなり年始めから肩すかしを食らい、結局その流れを引きずってしまったのか、一つとしていいことがなかった。
それぐらい今年の、そして僕にとって初めてのLucky Bagの中身は衝撃的だった。

さて、今年のアナウンスを早速覗いてみようと思う。

恒例となりましたオンラインのApple StoreのLucky Bag(福袋)。2009年はよりApple Storeらしさにこだわった、Apple製品も入った、音楽好きにはたまらないLucky BagをApple Storeでは販売致します。お客様に満足いただけるような商品をスタッフが厳選し、自信を持ってご提供させていただきます。2009年のスタートは Apple StoreのLucky Bagから。

販売価格 : 35,000円 (税込)
予約期間 : 2008/12/16 – 2008/12/25 (10日間)
販売個数 : 1日数回にわけて各回先着販売 期間中計200個を予定
お届け日 : 2009/1/2

製品内容
– どの袋にもオンラインのApple Storeのスタッフが厳選した最新のApple製品やアクセサリ、非売品のAppleオリジナルグッズが同梱されています。

去年は20日間にわたって販売していたのが、今年は10日間。単純計算すると1日20個の販売ということになるが、相変わらず何時に販売されるかはわからないようだ(これは後でのちほど)。

で、重要なのは、昨年のアナウンスとの比較で、昨年の場合は

今年は、ひと味違った形でオンライン限定のLucky Bag(福袋)が登場です。オンラインのApple Store厳選のiPodアクセサリやオリジナルグッズが入ったミュージックテーマの福袋を、3万5千円(税込み)で販売いたします。

という触れ込みだったわけ。
で、結局今年のLucky Bagには、Apple社純正の製品はApple Universal Dock(5,800円)とiPod ソックス(3,400円)のみで、あとはサードパーティの製品ばかり。結局「当たり」の人しかiPodが同梱されていなかった、というのがオチだった。確かに改めて文言を見ると、アクセサリやオリジナルグッズという触れ込みがあったものの、Apple製品という文言がなく、このことが良くも悪くも想像力を掻き立てたが、結局それは悪い方で的中してしまった、というのが今年のLucky Bagだった。

Appleをこよなく愛する人からは企業イメージの低下を懸念する声や、欲しくても手に入れることができなかった人からは安堵の声が、一方僕のように運良く手にした人からは、溜息ばかりが漏れていたようだ。

さて、来年初めに発売されるApple Bagの製品内容には、しっかりと「最新のApple製品やアクセサリ、非売品のAppleオリジナルグッズが同梱されています。」と明記されていることをみると、恐らく今年のような鬱袋、いや酷袋にはならないのだろう。強いていうならば、「お客様に満足いただけるような商品をスタッフが厳選し、自信を持ってご提供させていただきます。」という、一種自惚れにも似た過度な自信が一番怖いといえば怖いのだけれど…(苦笑)。

では一体どのタイミングで購入が始まるかというのは、わずか200個しかないこのLucky Bag獲得に向けた重要な対策でもあると思う。

某掲示板では早速情報提供がされており、昨日は13時頃と17時15分頃に販売があった模様。おそらく夜中やそれ以外の販売もあったのかもしれないが、その時間は不明である。あるいは、昨日は初日ということもあって分散しているが、今日から再び販売時間が変わる可能性は十二分に考えられることから、本気でこの福袋を狙っている人であれば、仕事や学校を休んで、四六時中PCの前にかぶりついていなければならないのだろうか。

他の方もおっしゃっていたが、そんな無駄な時間をAppleファンに強いるぐらいなら、最初から抽選販売にすればいいのに、と思うのだが…。

例年通り店頭でも1月2日からLucky Bagの販売が始まるようだ。今年の1月2日、Apple Store周辺ではiPod目当てに行列を作ったユーザーが、Macソフトを手にしながら溜息ばかりついていたようだが、さて来年の正月はどうなることやら…。

百箇日

今日12月15日は、父が亡くなってちょうど百箇日となる。
「早いもので…」ということになるのだろうが、父が亡くなったのがつい先日のことのように思えて、実感があまり沸いていない、というのが正直なところである。
一昨日、百箇日法要を執り行い、父の兄妹夫婦が勢揃いした(母方の親戚は諸般の事情により全員欠席)。
弘前に来るのはお葬式以来となる遠方の兄妹もいて、改めて悲しみを感じていたようだ。
うちの妹もお葬式以来こちらになかなか来ることができなかったので、あと2週間もすれば年末年始の休暇に突入し、帰省するにもかかわらず、「父の法事だから」と都合をつけて来てくれた。

何故か一昨日は、読経の間中、父との思い出がいろいろ去来し、涙をこらえていた。忌明けや四十九日の時は寂しさばかりが頭をよぎりながらも、特にこみ上げるものがなかったのに、父の兄妹夫婦が揃った姿を見た途端、本来10人いなければならないはずの兄妹夫婦が、9人しかいないことを改めて見て、何か胸にポッカリと穴が開いたような、そんな感覚に突如襲われたのだ。

読経が響く間ずっと思い出していたのは、何度か父と二人で行った釣りのことだった。釣りは、父と僕を繋ぐ唯一の道楽だったような気がする。
恐らく10年近く前のことだっただろうか。父の実家のある村の山奥へ行き、30センチ以上の真鯉を何匹も釣り上げたこと。竿を置いたまま二人で小便をして戻ってきたら、竿の上を蛇が這っていたこと。それを見て二人で腰を抜かしそうになったこと。釣れた鯉を、よせばいいのに家まで持ってきて、家族みんなから怒られたこと…。鰺ヶ沢町にいる父の友人に誘われ、父にとって初体験となった鯛釣りで爆釣、二人だけでも合計20匹の鯛を釣り上げたこと。友人や父の兄にそれを振る舞い、驚かれたこと…。今年の7月、同じ友人に誘われ、ヒラメ釣りに行くも見事に空かされたこと。そして、今思えば、あの時も父の元気がなかったこと…。船主から「9月末にもう一度!」と誘われ、父は「うん、うん」と片言で返事をしていたのに、その約束も果たせなくなってしまったこと等々…。楽しかったこと、楽しくなかったこと、いろんな思い出が蘇ってきた。
その時その時の、父の一挙手一投足が頭をよぎり、涙をこらえるのに本当に必死だった。

お寺での法要を終え、みんなが家にやってきた。
父は普段から家を空けることが多い人だったので、親戚は父を目当てにやってくる、というよりは、家を目当てにやってくる感じだった。しかし、父という「蝶番」が居なくなった今、恐らく父方の兄妹とは付き合い方が若干変わりそうな気がしたし、これからは何となく、少しだけ距離の離れた関係になるような気がした。そして勝手な解釈ではあるが、兄妹間の関係も、父の存在がなくなったことにより、少しずつ変わるような気がする(それはいい意味でも悪い意味でも)。

思えば、兄妹夫婦が揃うことなど滅多にあることではなく、兄妹が一堂に揃うことは、幼い頃に養子に貰われた父が一番望んでいたことだろうし、今後も節目節目で父が「蝶番」の役割を果たしてくれることだろう。

百箇日を迎えたとはいえ、根強く残る父への想いがそんなに簡単に払拭されるはずはない。
正直、百箇日ともなると、所詮家族だけの区切りになるのだろう、と思っていた。
しかし、昨日になって仏前に手を合わせるだけのためにやってきた2名のお客さんをはじめ、この日に合わせて供花や供物をわざわざ送ってきて下さった方がいることを考えると、父の存在は、僕たち家族が思っていた以上に大きなものであったのだと、確信している。

葬式や節目節目の法要の時は、いつも晴れていたのに、この日は大粒の雪が降っていた。
父の大粒の涙が、雪に変わったのだろうか。
ようやく父も、旅立つことができたのかも知れない。

鏡ヶ丘同窓会○○支部

昨晩は母校・弘前高校の同窓会でした。といっても職場内にある支部主催での開催。
ざっと勘定すると、青森地区にいる職場関連の同窓生は300名程。うち、昨日参加したのは、30名余り…。来賓が12名、ということで、ざっと50名。ただ、この来賓がそうそうたる顔ぶれで、某銀行の頭取や、県議会議員などなど…。

そのような中私、司会進行の大役を務めさせていただきました。
不覚にも顔ぶれを見て緊張感が走り、最初は噛みっ噛み…。
しかも、来賓挨拶の際に、次第にないことをやって欲しいという無茶ぶりまでされたのですが、少しずつ場を和ませながら、何とかその場を凌いだのでした(周囲からは「お前の司会ぶりには感服させられる」と賞賛されましたが、本人ホントにイッパイイッパイでした)。

亡父も同じ高校の同窓生であり、いろいろとご迷惑やご心配をおかけした方も大勢いたので、失礼とは思いながらもご来賓の方々にお礼のご挨拶をさせていただきました。

「どしてら?落ち着いたか?」
気さくに声を掛けていただき、気持ちも少しほぐれました。
某議員からは、「実はお父さんから、母校の野球練習場のネットを修復してほしいと、生前頼まれた。あれは俺への遺言だと思って、必ずやるから。」とお声を頂きました。

ひょっとしたら他の出席者にとっては、何の面白みのない、ただ飲んで食うだけのつまらない会合だったかもしれません。しかし個人的には、父が生前お世話になった方々といろんなお話ができただけでも有意義な会合でした。

そんな中、昨日の一番の収穫は、高校時代の恩師と再会し、二人で酒を酌み交わしたことでした。
恩師は現在53歳。恩師が弘前高校に赴任して、初めての卒業生が我々だったということで、強く印象に残っているクラスだったとのことでした。

もう20年以上も前の話になりますが、高校三年の秋、父とともに三者面談に臨んだ時の思い出が今も強く残っています。父は席上、「もし大学が駄目なら、浪人はさせません。働かせます。」とキッパリ。「で、のんべ君は何をやりたいの?」と恩師。「将来的には家業を継ぐことも考えなければならないかもしれないが、今はまずその礎となる勉強をしなければならないと思います。」と僕。恩師、一枚の紙を取り出し、「のんべ君の今の偏差値はこれぐらい。で、あなたの希望する大学の偏差値はこれぐらい。相当努力しないと…。」

帰路、父は無言でした。
帰宅すると、父はパンフレットをおもむろに取り出しました。なんとそれは、静岡県や四国地方にある企業案内。「大学駄目ならここに雇ってもらうよう、話はしてあるから。」
この時ほど冷淡な父もいなかった、と記憶しています。しかし、逆にそれが私の闘志…のようなものに火を点したのかもしれません。

あの時の父と、この恩師がいなければ、そしてあの時の仲間がいなければ、今の自分はなかったであろうというぐらい、高校時代の3年間は、自分の人生の中で重要な時期であったと、確信しています。

そんな恩師とは、かれこれ20年来のお付き合いとなります。
現在は教務職ではなく、教育関連の事務職への配置となっており、現場を離れてから結構時間が経過していますが、そろそろ現場復帰したいという思いを抱いていること、そのためにも、後進に道筋をつけるため、来年の太宰治生誕百周年記念事業を何とか成功裡に終わらせなければならないことを、力説しておられました。

20時台の電車で帰ろうとした恩師を無理矢理引き留め、二人で青森駅前にあるモツ焼きやで一献。その後弘前駅に電車が到着するまでの約2時間、いろんなことに気づかされ、いろんなことを学んだ、とても内容の濃い時間を過ごすことができました。

恩師が我々を卒業生として送り出したのが、33歳の時。我々は5年前にその年齢を超えてしまいましたが、自分があの頃の恩師のような活力溢れる人間には到底及んでいないこと、母校の教育方針である人間像「持って生まれたものを深くさぐって強く引き出す人」にはまだまだ達していないことを強く感じました。

それにしても恩師と二人だけで交わした時間は本当に私にとって貴重な時間でした。親子の関係が幾つになっても親子の関係であるのと同じで、恩師と生徒の関係はいつまで経っても絶対変わらないのだと、強く思いました。

近いうちの再会を約束して、家路につきました。
ほろ酔い加減でタクシーを降りると、細かい雨が降っていました。
頬に当たるその雨は、実に心地よい雨でした。

いよいよパソコンが…。

2002年の8月に購入したVAIOが、いよいよ終焉の時を迎えようとしています。ハードディスク全取っ替え(40GBデータ全損失→60GBにアップグレード交換)を経験してもなお、私の片腕として頑張ってきてくれました。年賀状作成、同窓会案内、Webページの作成、そして音楽の取り込み等、本当に働きづめでした。しかしここ最近はいよいよ老朽化が激しくなり、機嫌を損ねると起動しなくなったり、起動してもまともに動くまで5分ぐらいかかるなど、とにかくイッパイイッパイの状態になってきました。
さらに、ウィルス攻撃・駆除の後遺症なのか、起動時にいろいろやっかいなこともあって、本当に満身創痍の状態となっています。いわば末期患者、といったところでしょうか。

元々メーカー直送のアウトレット品を購入しているのですが、たかだか40GBのパソコンに18万円も払っていたのですから…。それを考えると、今のパソコンは本当に安くなったなぁ、というのが正直なところです。
テラバイトHD搭載のノートパソコンも、1~2年で主流になるのでしょうか。

妻の一押しはDELLで、理由は「安いから」。確かに10万円を切るモデルで250GBもあれば、十二分なような気もします(そんなにデータを蒐集しているわけでもないので)。
個人的には原点回帰ということで、今一度Macに戻りたい気もしています。しかし、Win機との互換性その他諸々を考えると、ちょっと躊躇してしまいます。青森県民なのでAppleにこだわりたい…というのは真っ赤な嘘ですが、Vistaの使い勝手の悪さを職場でイヤというほど思い知らされているので、XP搭載機にも魅力を感じています。MacでXPやVistaを起動させることのできるBoot Campはなんだかとても魅力を感じてしまうのです(まぁ、あくまでメインはMacなのですが)。

嗚呼、結局こうやって悩んだ挙げ句、何の手出しもできずに、年が明けていくのでしょうか…。