今年密かに掲げた裏の目標が二つ。
一つは、今年こそマラソン大会に出場し、完走すること。
もう一つは、しばらく遠出していない母を旅行に連れて行くこと。
この二つを一度に叶えるため、とある画策を練っていた。
それは、NAHAマラソンにエントリーし、母も同行させるというものだった。
これで、マラソン大会出場と母の旅行という二つの目標をいっぺんに叶えることができる。
マラソンブームの影響で、かつてはNAHAマラソンに出場するのも抽選だったが、ブームが去り、新型コロナの影響もあってマラソン離れも相当加速したらしく、結局最後まで定員に達しなかったようだ。
母を説得するのは簡単だった。約40年にわたり犬猫を飼っていた我が家。昨年11月に愛犬チョコが旅立ち、ペット不在となった。旅行だマラソン大会だコンサートだと家を空けるとき、ペットの面倒を見ながら家の留守を預かっていたのは、母だった。その面倒をするペットがいなくなった今、母を外に連れ出しても文句はないだろう。
こうして、12月初旬から4日間にわたり、母を連れて沖縄へ行くことが決まった。
「大人の修学旅行」…なんて言えば格好いいだろうか。
しかし、そんな旅行にも暗雲が立ちこめる。
11月29日から30日にかけて北日本は悪天候に見舞われた。
30日の青森空港は大荒れ、出発する便は軒並み遅延(最大2時間近く)となり、翌日に出発を控えた我々の不安を掻き立てた。というのも、羽田経由で沖縄那覇を目指す行程、乗継時間は40分しかないのだ。大雪に見舞われたら、搭乗予定の始発便は遅延がほぼ確実。乗継便には間に合わないことだろう。
- 初日
そしていよいよ12月1日。6時過ぎに自宅を出発。悪天候を見込んで通勤の皆さんも行動を早めたらしく、途中の予期せぬ渋滞に相当焦らされたが、搭乗便出発の25分前に青森空港到着、無事機上の人となった。懸念していた遅れも5分程度で、乗継も十分間に合いそうだ。
ただ一つ誤算だったのは、羽田空港着陸後がバスでの移動だったこと。結果的に羽田空港内の移動距離が短くなったため、母の負担は減ったわけだが、少々焦りを感じていた。
…実はこの時、その焦りから大チョンボをやらかしていた。
カード類の入ったケースを紛失したのだ。4日間カードのないまま、買い物は電子マネーや現金で済ませることとなったが、カードケースは結局、全ての旅程を終えてから見つかった。JALに遺失物がないか確認をお願いしたところ、羽田到着後の機内に落ちていたらしい。
ただ、旅行期間中は僕よりも母がカードケースの行方を案じていたようだ。せっかく楽しい旅行になるはずだったのに、余計な気を揉ませることとなり、母には本当に申し訳ないことをしたと猛省している。
沖縄を訪れるのが初めての母のため、今回は「初級コース」を用意。
ただし、3日目は僕のマラソン出場に伴い「自由行動」となるため、隊長に母を託し、美ら海水族館、万座毛、琉球村などを巡る観光バスでの本島ツアーに参加してもらうことにした。
いよいよ沖縄那覇空港に到着。気温は18度程度で、暑さは全く感じられない。
レンタカーを借りたあと、初日は隊長の希望により「アウトレットモールあしびなー」へ向かった。時折雨も混じる天候だったが、強い雨には当たらずになんとかしのいだ。
初日2日目は沖縄県庁の向かい、国際通りのすぐそばにある「ロコアナハ」に宿泊、3日目は恩納村の「リザンシーパークホテル谷茶ベイ」に宿泊した。
初日の夜に訪れた、ホテル近くにある居酒屋「食の番屋もも太郎」は、沖縄産の食材や料理を多数揃えたお店。
刺身盛合せは沖縄近海の魚、そして「ビタロー」と呼ばれるキンセンフエダイの姿揚げなど、母も大満足の夜となった。
ちなみにその足で国際通りを少しだけ散策、ドンキホーテで土産を一気に購入した。毎回、沖縄の土産はドンキかイオン、地元スーパーで購入すると決めているのだ。
- 2日目
「首里城」~「海中道路」~道の駅「かでな」~「イオンモール沖縄ライカムのコース」をドライブ。
この時期は各地から多くの高校生が修学旅行で訪れており、首里城も高校生で溢れていた。しかし、青森とは全く趣の異なる風景に、母は感銘を受けたようだ。良かった。
首里城は約5年前に焼失し、現在再建が進んでいる。テレビで見た首里城焼失の光景はかなり衝撃的だったが、あの光景を目の当たりにしたらきっと号泣してしまうんだろうな、なんてことを思ってしまった。
続いて向かったうるま市の海中道路の途中にある海の駅、宮城島にあるぬちまーすで土産物を購買し、次の島へと渡った。
この日の昼食を取るために訪れた浜比嘉島。島内にある「丸吉食品」が、相当燻し銀の店だった。
観光客というよりは地元民相手の店といった雰囲気で、なんと勝手に家の中に入って食事するという、呆気に取られる展開が待ち受けていたが、ここで食した中味汁は本当に絶品だった。
続いて訪れた道の駅「かでな」は、展望スペースが拡張されていた。オスプレイの事故が起きてすぐだったこともあり、報道機関のカメラも待ち構えていたが、米軍に動きはなかった。
イオンモール沖縄ライカムは、ちょっと欲しいものがあって立ち寄った程度。ブルーシールの塩ミルクと紅いものミックスは、大変おいしゅうございました。
そしてこの日の夜は、予約がなかなか取れないという「食彩酒房 まつもと」にてアグー豚のしゃぶしゃぶを堪能。大会前日ということでアルコールを控えるつもりだったが、これを前にしたら無理だった。
- 3日目
「自由行動」ということで、いよいよNAHAマラソン出場。
…が、この話はまた別の機会に。
無事に大会を終えて那覇市内から恩納村へ移動、バスツアーに参加していた2人を琉球村でピックアップし、途中「おんなの駅」に立ち寄った後、この日のホテルに到着。
75歳となった母。多少衰えが見え始めていることは致し方ないが、ツアーで巡った場所で色々楽しむことができたらしい。それよりも沖縄に来てから、飲んで喰っての日々だったので、むしろ内蔵への負担の方が心配になってきた。
ちなみにこの日の夜は、ホテルのすぐそばにある「琉球亭」で沖縄最後の夜を堪能。
天候にはあまり恵まれなかったし、カードケースの紛失を筆頭に、細々したトラブルも幾つかあったが、なんとか無事にここまで来たな…と感慨に浸りつつ、大会の余韻もあり、この日のビールは最高に美味しかった。
- 4日目(最終日)
朝から雨が降り出し、ホテルをチェックアウトする頃には大雨に。
帰路の便は沖縄那覇空港発14時50分。レンタカーの返却は100分前までを求められているので、13時10分には返却しなければならない。
この日はほぼノープラン。思いつくまま国道58号を南下し、読谷村にある「やちむんの里」に立ち寄った。
ものを増やしたくないという思いが強いのだろう、購買意欲を見せない母。半ば強引に了解を得て、食器類数点を購入。
そのまま国道を南下することも考えたが、何せ雨が酷く、那覇市内に近づくにつれ渋滞が続くことも懸念されたため、急遽沖縄自動車道へと進路を変え、糸満市に向かった。
次に立ち寄ったのは、日本最南端の道の駅「いとまん」。せっかくなので、沖縄の食材をいくつか購入していこうという魂胆だった。それぞれが気になったものを買い物かごに入れ、食材を購入。
時計は既に11時半を過ぎていた。ああ、いよいよ修学旅行が終わりに近づいている。
最後は、「ちゃんとした沖縄そばを食べたい」という私そして隊長の思いを叶えるべく、道の駅から少しだけ南にある「南部そば」へ向かった。
月曜日、そして雨の影響もあってなのか、待っている人はそれほどおらず、10分足らずで店の中へと案内された。
タッチパネルで注文を終えると、程なく「三枚肉そば」が運ばれてきた。
麺の湯切りがやや荒いのか、スープに若干濁りが残っていたのは気になったが、自家製麺はもちもちで、上品な鰹だしが麺に絡んでくる。かれこれ20回ほど沖縄本島を訪問し、その都度いろんな「沖縄そば」を食してきたが、これは間違いなくベスト3に入る逸品だった。スープをポットに入れて持ち帰りたくなる、というヤツだ。
さて、思い残しはなくなった。あとはレンタカーを返却して帰るだけだ。
この頃になると、母の顔にもかなり疲労が滲み出るようになっていたが、14時50分に沖縄那覇空港を飛び立ち、羽田空港で乗り継いだ後、青森空港に降り立ったのは20時過ぎ。
21時頃に自宅のある弘前市へと戻ってきた。お疲れさまでした。
翌日、母からこんなリクエストがあった。
「4日間、どこを歩いたのか書き出して欲しい。」
これまで訪れたことのない土地や場所を訪れ、様々なものを見聞きしてきたことを思い返したいとのこと。どうやら楽しい旅程だったようだ。親孝行らしいこともしてこなかったが、やっとそれっぽいことができたかな。
食べまくりのようなツアーではあったが、次回はちゃんとカードを持参して再訪するぞ!