49歳。2020年代をどう生きようか。


僕らには平等に時間が与えられ、毎年確実に1つずつ年齢を重ねる。
どんなに若作りしようとも、どんなに老け込もうとも、こればかりはごまかしの効かない事実だ。

人によって異なるのは、日々学習し、悔い改め、そして成長につなげる努力の度合い。この差は、思っているよりも大きい。
そこで生まれる差が、人生において良くも悪くも何らかの作用を及ぼしているといっていいだろう。

昨年の「新年の誓い」を改めて読みながら、ほとんど自分自身に成長が見られなかったことに、ちょっと愕然とした。
「年男」の気合いも相当な空回りだったが、いよいよ来年には50歳を迎えることを鑑みると、泰然自若とした振る舞いにいい加減徹しなければならないと心の底から思えるようになった。

それにしても昨年は、心底楽しいと思えることが本当に少なかった。いや、楽しかったのかも知れないが、そもそもそれを楽しもうという努力を怠っていたのだから、そう思えなかった自分が悪いだけの話。もう一つ言えば、家族以外で心の底から謝意を示すことのできる人の数が、昨年は極端に少なかった。

それもこれも自分の邪でネガティヴな思考が生んだ結果。亡父も相当な曲者であったが、最近の僕はそれ以上に根性のねじれた曲者だと自覚している。

さて、今年は少しでもまともな人間に近づく努力をしてみようと思うのだ。いや、今までもまともな人間でいたつもりではあったが、どうも僕は偏屈でマイノリティの方を求めてしまう傾向にあるようだ。だから、卑屈なことを口走ったり、空気を読めず、場の雰囲気を変えるような行動に出たり、本当に大人げないヤツだと思う。

せめて今年は、ささやかな嬉しさを互いに感じられるような、他の人たちが喜ぶ顔を見るための後押しをたくさんしたいと思うし、自分自身にとってもたくさん楽しいことを見つけようと思う。

そのために毎月一つは、自分自身にとって楽しいこと、周囲の人たちにとってなにか有益になるようなこともしたい。一日一善ではないが、2020年は楽しく笑ってばかりだった、そんな年にしたい。ほんの些細な日々の善行を積み重ねた結果が、自分に跳ね返ってくる可能性だってあるじゃないですか。
でもそれって、口で言うのは簡単だけど、行動に移すことは決して簡単なことではない。
そもそも楽しく過ごすためにどうしたらいいか、夢や上昇志向を持ち続けることや、日々の努力そして研鑽を積み重ねなければならない。

人生は帳尻が合うようになっている、というのであれば、時には嫌なことだってあるはず。自分にとって嫌なこと、それはもしかしたら多くの人にとっても嫌なことかも知れない。災い転じて福と成す、とは言うが、それはごく稀なケース。普通であれば、災いは災いでしかないのだ。その災いを最小限に食い止めるため、先手を打つ必要だって時にはあるだろう。

時は金なり、という時代ではなくなりつつあるような気がする。むしろ時は命なり、なのだろう。
命がこの一瞬一秒の積み重ねだとすれば、残念ながら僕は命の大半をゴミ箱に捨てているかも知れないが、端から見るとくだらない思考を巡らすことだって、僕には重要なことだと確信している。

昨年辺りから母がよく口にする。

「あんたさ、今そうやって走れてホントに良かったよね。」

…逆子で生まれた僕は、半分死にかけだったらしい。更には斜頚も見つかり、母に背負われ連日の病院通い。矯正の名のもと、首を引っ張られて泣き叫ぶ僕の姿を、母は正視していられなかったそうだ。

小学校3年の時、今度は高さ約3mから地上に落下。その地面が土だったことがせめてもの救いだった。しかし、背中から地面に打ち付けられた瞬間、呼吸ができなくなった。一瞬僕は、死んだのかも知れない。

腰椎を圧迫骨折し、2か月近く入院。打ちどころが悪ければ、下半身不随の生活を送るぐらいの重傷だったし、地面が土でなく、しかも頭から落ちていたら、この世にいなかったかも知れない。今もレントゲンを撮ると、腰椎の一本が少し歪んでいる。だから母に言わせると、ランニングに勤しんでいる僕の姿が不思議らしい。

でも僕はまだ、こうして生きている。母よ、そして父よ、心からありがとう。

年齢とは、引き算のできない数字の積み重ね。49という数字一つ一つに色んな喜怒哀楽を孕み、運命を備えている。

人生は振り返ることができても、やり直すことができなければ、過去を白塗りしたり修正することもできない。だからこそ、もっと真剣に、慎重にこの先を過ごさなきゃならないと感じる今日この頃。だって、残された人生の時間なんてきっと、考えているほどそんなにないと思うのですよ。

自分の節操や信念を曲げずに損をしたことはたくさんあるかも知れないが、それが得に繋がり、徳となったことも数知れず。

そろそろ、一定の節度は保ったままでビルド・アンド・スクラップ(スクラップ・アンド・ビルドではない)を始めよう。日々学びを重ねながら、そしてたまに反省しながら、無駄なものを棄てていく、余計なものを背負ってブクブクと着ぶくれするぐらいなら、少しスリムになった方が機動力も上がることだろう。溜め込むよりも廃棄する方が大変かも知れないが、そんな地道な作業に取り掛かろうかと思う。

人生に華美な装飾は不要。シンプルかつスマートに。これが一番いいんじゃないか、と。

さて、我々の世代になると、いよいよ定年の年齢が65歳まで引き上げられることになりそうだ。
昨今は働き方改革が叫ばれており、コンビニもレストランも24時間営業を見直しはじめている。

いよいよ50歳まであと一年。これからはメリハリのある生活、更には終焉を見据えた「生き方改革」を真剣に考えていかなければならないかも知れない。

さあ、最後の40代を目一杯楽しませてもらいますか!