我が父のこと

昨日の続編っぽい感じになってしまうが、ご勘弁を。

父のことに関しては、身内もブログを読んでいるということで、いつもいつもネタにしようかどうしようか自分の中で物凄い葛藤があったのだが、どうにもこうにもこのことを綴っておかないと、自分のストレスが飽和状態になりそうなので、敢えて今日は父をネタにしようと思う。身内には、まずもってこの場を借りて謝っておく。スマン。というかこれは、今に始まったことではないので、苦笑しながら読み流して欲しいと思う。


父は亥年生まれのO型。猪突猛進を地で行く性格の持ち主だ。ちなみに僕も亥年生まれのO型。でも、父みたいな猪突猛進型ではないような気がしているが、こればかりは自分でもどうなのかよくわからない。

一度決めたら脇目もふらず、周囲の迷惑などお構いなし。そんな父に振り回されるのはいつも家族。とりわけ母の苦労は一言で表すことはできないが、一方で、その「とばっちり」がこちらにも及ぶものだから、正直溜まったもんじゃない。

父は、弘前市の市議会議員だった。「だった」と過去形になっていることからもお察しのとおり、現在は「一般市民」だ。「一般市民」と表現したが、ひょっとしたら「特異市民」かも知れない。
初出馬の時は、家族総出で応援し、何とか当選。しかし「ある陰謀」によって市議を失職(ただし父も悪い)、その後捲土重来を期して再出馬、同情票も集めて復帰し、3期目も半ばを迎えていた頃のことだった。恐らく後援会の後押しがあったと推察するのだが、何を思ったのか突然県議への出馬を模索し始めた。家族の同意も得ぬままに勝手に水面下で行動を始めたまではよかったが、これには家族が感付くのも早かった。しかし、父は一向にそのことを家族の前で公言せず、不信感は募るばかり。
どういうわけか父の身辺が家族に伝わるのはマスコミ(新聞など)を通じてといった有り様で、肝心なことを絶対に口にしない父に対しては、ほとほとあきれ果てたものだった。結果、県議選ではダントツのビリで落選。出馬宣言が遅かった割には手応えがあった、と嘯いてみても、選挙というのは当選してナンボの世界。家族からの満足な後押しも得ぬまま、不完全燃焼気味に父の議員生活は終焉を迎えた。

この時吐いた捨て台詞はこうだ。
「もうやめた。今後、どんな選挙にも首を突っ込まない!」
これで、父の「選挙病」からやっと解放されると、安堵に包まれたのも束の間。

この病気、ハッキリ言って「難病」である。なにせつける薬がないし、治療法なんて存在しないのだ。

案の定、こんなことで「父の病」が治るはずもなかった(こんなこととは言うが、実際は生活が掛かっているのだ)。程なく行われた市議会議員の選挙では、後継として支援した候補者の応援にと駆けずり回り、挙げ句の果てに応援のマイクまで握る始末。その声が家にまで聞こえて来た時は、プルプルと怒りに震えた。
そして、これに懲りることなくその後も行われる選挙という選挙のたびに、右へ左へと向こう見ずで走り回るといった有り様。

そのたびに、母そして我々のフラストレーションは蓄積しまくりで、それはまるでコップ一杯に注がれた水に、毎日1円玉を1枚ずつ落とすような心境だった。要するに、表面張力ギリギリで耐えていた、ということだ。

市議選で後継を議場に送り込んだまではよかったが、それ以降父の応援する候補は落選の憂き目に遭う、という状況が続いている。しかも、当然選挙に駆けずり回る間の仕事は全く放置。自営業だから辛うじて何とかなっているようなものだが、母の肩の荷はどんどん重くなっている。もっとも、もはや斜陽の一途を辿る自営業にあって、父の存在などどうでもよくなっているのかも知れない。おとなしく市議の椅子に座っていればよかったのに…と何度思ったことだろう。
そういう事情もあって、仕事そっちのけで選挙に首を突っ込む父に、母の堪忍袋の緒はいつ切れてもおかしくない状態なのに、よほど頑丈な素材で出来ているのか、いつも辛うじて、のところで踏みとどまる。

他聞に漏れず、今回の市長選でも「選挙病」が再発。
いよいよ母の愚痴の量も増え始め、堪忍袋の緒が切れかけていることを察知することができた。
大体、それまで何の縁もゆかりもなかった他人の選挙に首を突っ込むということが、何の意味を持つのか、僕にも全く理解できない。

放蕩息子ならぬ、放蕩オヤジとはこのことか。

ちなみに。僕は自分の結婚式で父のことを「反面教師だ」と揶揄したが、今もその思いは変わらないし、むしろその思いは寄り強くなっているような気がする。自由奔放で生き続けていることに対しては憧憬を抱かないわけではないが、何も言わずにまるで陰でこそこそ何か悪さをしているような狡さが、僕にはどうにも理解できないのだ。

自由奔放と言えば聞こえはいいが、裏を返せば自分勝手だということだ。

せめてもの救いは、迷惑を被っているのがアカの他人ではなく家族だけだということだろうか。
少なくとも明日までは、この苦痛、そしてストレスに耐えなければならないようだ。
仕事で疲弊しきっているこの時期、帰宅するとまた別の苦痛を強いられるというのは、ハッキリ言ってユルグネし、タンダデネ話なんだよ、ホント(苦笑)。

9 thoughts on “我が父のこと

  1. nonvey

    煮ても焼いても食えないっしょ。
    つかオメ、そんなモノ喰ったらアダるよ。

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  2. ねっちゃ

    うちも反面教師だな。
    ここでははっきり言えないけど・・・
    母親に三行半を突きつけられた形になってても・・・・
    いまも彼の姿勢は変わらない。
    私が嫁だったら即刻別れる。
    ひとりじゃ何も出来ないのに、大口叩くから頭くるさ。(苦笑)
    自分勝手を、そうだと思ってないから達悪い。
    これ、うちの父親の話ね。
    今朝も朝からばばちゃんに・・・昨晩の話をされてムカムカしてたとこだ。(笑)
    猪鍋か・・・比内鶏より脂っこい気がする。
    けど・・・
    食べてみたいわ。w

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  3. あきみゆ

    そっか??。
    性格ってなかなか変わるものじゃぁないですね。
    大イノシシさんは結局家族に甘えてるのよね。
    幸せな方だと思います。
    うちのパパがいたらどうなっていたでしょうね(笑)
    もし猪鍋にしたらよんで??!
    食べたくないけど突っつきに行きたい?。
    (冗談言い過ぎてごめんね!!)

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  4. nonvey

    うちの父なんて、逆に家族がいないと何もできないから(それはねっちゃ父さんも一緒と思われ)、かなりの部分で甘えているところはあると思います。でも、一緒に生活しているからこそ目障りなことって、あると思うんですよね。最近、年を取ってきたこともあってそういったことが増えてきました。僕自身も年齢を重ねているのにね。
    そういえば最近の父の会話の相手は、犬猫ばかりのような気がします。まともな会話をした記憶がありません(苦笑)。
    で、皆さんイノシシの鍋が食べたいと(笑)。
    我が家にはアルコール漬けのイノシシ(父)と、半熟成状態のイノシシ(僕)がいますので、お好きな方を捌き(裁き)にいらしてぇ♪

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  5. じゃん子

    なんだかんだで、自分勝手な父親の性格をまんまと受け継いだのは私だろうな、と思う今日この頃・・。
    離れているせいか、父が何のゆかりのない候補者を支援する気持ちはとってもよくわかるのだ!
    今さら、かつての敵と同盟を組んでまで、当確のオヤジを支援する気はないだろう・・ってね。私はそこだけには賛同するよ!
    不器用な、アルコールがノリノリの猪、あきみゆさんのパパがいたら。。今頃は後援会長かなぁ(爆笑)。

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  6. nonvey

    >なんだかんだで、自分勝手な父親の性格をまんまと受け継いだのは私だろうな、と思う今日この頃・・。
    ああ、わかるわかる(笑)。というか、それは俺も同じじゃない?血は争えないって、このことだろうな。
    確かにオヤジの気もわからないではないが、真意が見え隠れしているのがイヤなのだ。
    あきみゆさんのパパがいたら…?多分パパの後援会長をうちのオヤジがやっていたと思うよ(笑)

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  7. へなこ

    あれれ、いつのまにあきみゆパパの話になってんだ!
    のんじゃん父さんにうちのとっちゃの分まで頑張ってもらおうよ!ね!
    その日にはじゃんこに(お局)ウグイス嬢になってもらおう!

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  8. nonvey

    実はじゃん子の知り合いが、自分のお父さんの選挙カーでウグイス嬢をやっていた姿を知っていますので、じゃん子はウグイス嬢だけは絶対に引き受けないと思います(笑)。
    そうそう、去年弘前にいらした時に頂いたあのビデオを観て、あー…きっとへなこトッチャは、出馬の線も考えていたんだろうなぁ、とふと思いました。
    案外うちの父は、その意志を継いだんだろうか…。

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