Monthly Archives: 6月 2018

JOY-POPSのこと #thestreetsliders

僕が彼らのことを知ったのは高校2年の時だった。

音楽雑誌の裏表紙、新しく発売される「天使たち」というアルバムの名前とは裏腹に、見るからに強面でひねくれたような、鋭い視線を送る4人の男たち。とても天使とは程遠いとしか思えない彼らは、「THE STREET SLIDERS」という名のバンドだった。

程なく、彼らのアルバム「天使たち」が収録された(正しくは、友達からダビングしてもらった)カセットテープを入手。

重厚な低い音、そして嗄れた声を初めて聴いたとき、これまで触れたことのない、そして、触れてはいけない何かに初めて触れてしまったような、そんなザワザワするような居心地の悪さ。それと同時にポップミュージックを好んで聴いていた僕にとって、何だか新しい扉を開いたような、そんな気分だった。

「天使たち」は彼らにとって5枚目のアルバムだった。どちらかと言えば玄人好みというか、業界人受けするバンドだったらしく、満を持してのブレイク、といっても過言ではないだろう。

そして僕は、その後「Joy-Pops」と店名を変えることとなる弘前市内の某レコード屋に足を運び、初期の頃の楽曲をリミックスして収録した、彼らにとって挨拶代わりとも言えるアルバム「REPLAYS」を購入した。それが、初めて購入した彼らのアルバムだった。

THE STREET SLIDERS。
1980年にバンドを結成、1983年3月にメジャーデビュー。86年11月まで5枚のアルバムを発表しているので、かなりハイペースだったことが窺える。というよりもこの頃は、1年足らずのインターバルで次のアルバムが発売される、ということは日常茶飯事だった。
洋楽が隆盛を極めていた時代でもあり、国内はバンドブーム。新たな音楽が次から次へと溢れ出てくるというよりも、音楽そのものが飽和状態にあって、本当に聴きたいと思った音楽に辿り着くまで色々寄り道してしまう、大袈裟に例えるならばそんな時代だったかも知れない。

彼らの音楽は、ロックとブルースとダンスの融合、時々ポップ。
見た目は完全に武骨なロックンロールバンドなのに、サウンドを聴くと、ゴツゴツした中に繊細さも垣間見えて、実はとてもきめ細やかなバンドなんじゃないかと思うようになった。
そして大学生の時に、初めて彼らのライブに足を運んだ。が、彼ら4人の姿を生で見たのは、その時が最初で最後となった。
さほど広くないホールに集まった、お世辞にも、決して素行がいいとは言えなさそうな雰囲気の観客に圧倒されつつも、友人2人と開演を待つ。

やがて幕が開き、ギターとボーカルを務めるフロントマンのHARRYが声高に「ハロゥ」と叫ぶ。
その一言で始まったライブは、熱狂する観客とは裏腹にMCの一つもなく、4人の男たちが黙々とステージで演奏を繰り広げた。その光景にただ唖然としながら、ひょっとしたら僕みたいなにわかファンのクソ坊主が、コアなファンの集まる場違いな会場に足を踏み入れてしまったのだろうかという後悔の念を抱いているうちに、ライブは終わってしまった。

情けない話だが、結局何の楽曲を演奏したのかも覚えていないぐらい浮つき、焦燥していた。
圧倒的なステージ、それに熱狂する観客。それをまるで第三者のように傍観する、大学2年のクソ坊主。

これが僕にとって人生最初で最後の、THE STREET SLIDERSのライブ体験だった。

しかし、この前後からバンドとして活動休止(不慮の事故によるものもあった)を挟むようになり、ソロ活動も目立つようになった。

もう一人のフロントマンである蘭丸は、RCサクセションの仲井戸麗市とのユニット「麗蘭」を結成し、活動するようになっていった。

そして、いつかこの日が来るんじゃないかと思っていたが、不動のメンバーで20年間を駆け抜けたTHE STREET SLIDERSは、結局2000年に解散してしまった。

2003年に行われた、エピックレコードジャパンの25周年記念イベント「LIVE EPIC 25」。
東京公演のチケットが獲れず、大阪でこのライブを観ることとなった僕は、ステージに現れた男の姿を観て、唖然とした。

HARRYだった。

相変わらず何も言わず、おもむろに、そして黙々とギターを奏でながら、嗄れた声で「風が強い日」を唄い上げた。
あの日に観た、もはや説明のつかないライブとはまた違った身震いが全身を走った。
もう一度、彼らの姿を観てみたい。
そんな思いが燻り始めたが、それは叶わぬ夢だとわかっていた。大体、あの個性の強い4人が一堂に会するなんてあり得ないことだと思っていたからだ。

2008年、久し振りにHARRYの名前を目にした。「GATEWAY」と銘打たれたそのアルバムは、THE STREET SLIDERSのセルフカバーアルバムだった。
奇しくもTHE STREET SLIDERSのデビューから25周年。真意はわからないが、きっと彼なりのけじめの付け方だったのかも知れない。

更にデビューから30周年となる2013年には、蘭丸を除く元メンバーの2人(JAMES、ZUZU)が、HARRYのツアーに帯同したことを知る。この3人が揃ったのは、解散してから初めてのことだったそうだ。
否応なしにも高まる「THE STREET SLIDERS再結成」への期待。

しかし、そんなに簡単に物事は進むはずがなかった。

そして今年、デビューから35周年。5年毎にサプライズを巻き起こすHARRYが打って出た行動に、唖然とした。
蘭丸とかつて組んでいたユニット「JOY-POPS」を再結成、全国ツアーを行うというのだ。
二人が同じステージに立つのは、解散してから初めてで、18年ぶりだそうだ。

発表された全国ツアー最終日、7月8日の公演は、何と青森クォーターでのライブだった。行かない理由はないと、一人分のチケットを購入した。(その後続々と追加公演が発表され、現在9月末のビルボード東京・大阪まで発表されている。)

しかし、他の会場は軒並みソールドアウト(しかも即日完売の会場もあったぐらい)なのに、青森会場はまだチケットが残っているらしい。正直、寿司詰めの酸欠状態になるのも本意ではないので、少しぐらい余裕があってもいいかな、と思う反面、青森県民の「SLIDERS熱」はかつて相当だったと勝手に思っていただけに、意外な感じも受けた。

さて、すっかり浮き足立って内容を覚えていないあのライブから25年以上が経過した今日、果たしてあの時のクソ坊主は、彼らの姿を、彼ら2人の立つステージを、この目でしっかりと凝視することができるだろうか。

最近の動向を見聞きした話では、HARRY自身も色々人生の苦楽を重ねるうちに心境の変化があったようで、僕が知っている寡黙で無口なイメージではなくなっているらしいが、今から7月8日が楽しみで仕方がない。

そしてお楽しみついでにもう一つ。
何と、THE STREET SLIDERSのシングル集「The SingleS」(4枚組CD)が発売。
入手困難となったカップリング曲も含めた全54曲収録という圧巻の内容。リマスタリングが施されていて、音が素晴らしく良くなっております、ハイ。あの頃の時代を一緒に過ごした皆さん、これはマストバイです、ホントに。

もうね、ここまで来たら、次に期待するのはアレしかないでしょう。

「走る」ということと長く付き合うために

2018年も6月に突入した。
季節は移ろい、初夏の気配だというのに、ここに来て風邪である。

実はここ数年、この時期に風邪をひくことが非常に多くなった。しかも、どこからもらった風邪ではなく、風邪をひくそれなりの理由、原因が自分自身にあることを知っている。裏を返せば、風邪をひくかもしれないとわかっていながら、本当に風邪をひいてしまうのだから、学習能力に欠けているというか、バカではなく単なるアホなのだろう。

だって、バカは風邪をひかないって言うじゃないですか。

罹患してすぐに、約21㎞を走ってしまった。先週の走れメロスマラソンだ。初期症状が現れていたのに、それを無視したのだ。
その2日後、大したことはないだろうと油断して12㎞走った。これが悪化の途を招いた。
一瞬の油断が一生の後悔となりかねないことを、改めて肝に銘じようと猛省した。

ようやく喉の腫れは少しだけ引いてきたようだが、今度は咳き込むことが多くなった。すっかり初老の域に達した人のようだ。
夜になると激しく咳き込むこともあるので、自律神経が不安定になっていることも否定しないが、いずれにしてもそういう年頃に差し掛かっているということを自覚しなければならないのだろう。

ちなみにどうでもいいことだが、先月のランニング、総走行距離は約190kmだった。自分としてはもう少し行けるんじゃないかと思っていたけれど、色んな要素が重なってこの結果となった。今の自分には、これぐらいがちょうどいいのかも知れない。とはいえ、常日頃から呪文のように、走った距離より中身、と負け惜しみのように呟いている身としては、先月の中身はかなり充実していたと思っていただけに、下旬の風邪は本当に余計だった。

そんな中にあっても、今朝はブラインドランナーであるAさんの伴走を務めてきた。以前から約束していたことだし、既に半年以上伴走していなかったし、今日を逃すと次回がいつになるか確約できないという状況の中だったので、這ってでも行こうと決めていた。

来年で70歳を迎えるAさん。正直、走るというよりは小走りに近いペースとなる。自宅からAさんを迎えに行き、弘前公園内をくまなく走り、再びAさんを送り届け、自宅に戻る。これで大体21キロちょっと。ほぼハーフマラソンと同じ距離になる。このうちAさんと走るのは10kmちょっとだけだが、トータルで約2時間半掛けてじっくりと走るのだ。

もちろんただ漫然と走るのではなく、右折左折の指示はもちろん、ちょっとした段差があることも伝えなければならないし、足元の状態にも気を遣わなければならない。

ただ、Aさんと走る時は、自分にとって「気づき」が得られることが非常に多い。今日も走りながら会話を繰り広げ、「マカちゃん、悟りを開いた人みたいだな」と笑われた。そんな今朝の会話を少し膨らませて披露しようと思う。

いつものことながら今日も何だか七面倒くさくてクドい話なので、悪しからず。


「趣味は何ですか?」と聞かれ、「走ることです」と胸を張って言えるようになってから数年が経った。「最近、ジョギングを少々」なんて遠慮がちに口にしていた頃が懐かしい。

「走る」ということには、人それぞれ色んな目的があると思う。
ダイエットだったり、健康増進のためだったり、誰かに負けたくないという思いだったり。
そして、遂にその目標が達成された暁には、走るという「苦しみ」から解放される人もいるだろう。

だけど僕の場合、幾つかの目的達成を目指し、そしてそれをクリアしていく中で、走るという「楽しみ」を覚えた、といえるかも知れない。そして、「苦しみ」より「楽しみ」が上回っているうちは、多分「走る」ことをやめることはないと思っている。

ちなみにその「楽しみ」というのは、まだ見たことのない自分に会うことだ。

正直、ここまで「走る」ことが楽しいとは、考えても思ってもいなかったことだった。運動という運動全てを苦手としていた自分(それは今も変わらない)が、この年代となってこんなに「走る」ことに没頭するなんて、25年前の自分には想像もつかないことだった。
でも、何でこんな風になったんだろう、と時々考えることがある。もちろん、偏屈の塊っぽく。

結局のところ僕にとって「走る」ということは、自己顕示をするためのツールであり、自己発見をする方法であり、そして、自己満足を得る手段なのだろう。

以前、走ることの理想形が綺麗な多面体だということを投稿した。その多面体に近づくためには、色んなツール、方法、手段があって当然だと思うし、どうしたら速く走れるか、どうしたら長く走れるか、そしてどうしたら楽しく、いや楽に走れるかを思考する中で、何を極めたいのか、何を追い続けたいのかと考える内容も人それぞれだと思う。

全世界に数百万、数千万といるランナーの中で、自分はほんの小さな存在でしかないということは言うまでもない。でも、小さな存在であるが故に得られるものも計り知れないわけで、そのことが自分の生き方や生活にいい影響を与えるのであれば、それはそれで素晴らしいことなんじゃないか。

端的に言えば、井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る、ということなのですよ。

隣の芝生が青いと嫉妬し、一喜一憂している時間があったら、高い空の向こうにあるものを掴み取りに行きたい。今はそんな気分なのですよ。

だって、主張、顕示、発見、満足。結局のところ、全て帰着するのは自分自身なのだ。

さてこの先、自分はどんな走りを目指そうか。これから先も長く「走る」ことと上手に付き合いながら、まだ見たことのない自分に再び会える日を楽しみにしようと思う。
せいぜい、自己嫌悪に陥らない程度にね。

【お知らせ】弘前・白神アップルマラソンのエントリーが始まりました。7月31日までだそうです。皆さんの快走を祈念しております。