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2018年は、平常心で。 #ランニング #マラソン

2018年も早いもので残り360日となりました。
ここ最近何となく避けていたランニングの話を、そろそろ再開したいと思います。

ランニングを始めて10年以上の月日が流れ、フルマラソンに挑戦してから5年目に突入しました。年が改まったのを機に気持ちも改め、練習を再開しています。
初めてフルマラソンに挑戦したのが2013年10月、42歳の時。この時に叩き出した3時間34分50秒というタイムが、僕にとってマラソンの一つの基準となっています。
どうせ走るならもっと速く走りたい!思うのは人間の性ではないでしょうか。僕自身、フルマラソンにはこれまで16レースに出場(うち3レースはペースランナーとして出場)し、最初の記録からこれまで25分ほどタイムが縮まりました。

昨年1月の勝田全国マラソンで、走り始めた頃には夢にも思わなかった3時間15分の壁を越え、更に8月の北海道マラソンで3時間8分を切る怪走(快走ではありません)。しかも北海道の時は、後半に余力を残してのタイム、想定通りのネガティヴスプリットだっただけに、まだまだ行けるんじゃないかという勘違いをした結果、なぜか迷走状態へと陥り、フォーム、体調、その他いろんなものを崩す(壊す)こととなり、現在に至っております。敢えて言うならば、スクラップ・アンド・ビルドの時期に突入したんでしょうね、いろんな意味で。

さて、毎回の走行記録を残しているサイトで調べてみたら、2016年は通算で約2,320.9km、2017年になると約2,739.6kmを走っていたようです。2017年に関しては月間平均で約228キロ。そんなに走っていたという気がしないのですが、屋内外、練習、レースを全て合わせると、結構走っていたようです。僕は走行距離よりも内容を重視、といつも嘯いているものの、やはりこれぐらいは走らないと次の目標には届かないのかな、という思いもあります。

ところで、「プラトー」という言葉をご存じでしょうか。
【Plateau】
一時的な停滞時期を指す言葉で、主に筋力トレーニング時の停滞期のことを言うそうです。
昨年1月までは、何となくこの「プラトー」状態に陥っていたというか、記録が伸び悩んでいました。正しく表現するならば、一進一退を繰り返しながらも少しずつ記録が伸びているんだけれど、かといって劇的に伸びているわけでもなく、感覚的には初完走した時よりも酷い状況というか、何というか。
初フルからサブ3.5を達成するまでは、出場レースの数が少なかったとは言え、たった5分タイムを縮めるのに約1年を要しました。
そこから3時間20分を切るまでには、実に2年を要しました。僕の中では、この時期がまさに「プラトー」の真っ只中だったのではないかと思っています。しかし一旦そこから抜け出すと、3時間10分を切るまで1年もかかりませんでした。

この間で何があったのかといいますと、一つだけ思い当たる節があります。
多分皆さんもやられているとは思うのですが、昨年は、練習やレースの内容を記録する(ウェブ上だけではなく、紙に書いて残す)ということを1年間通してやりました。特に冬場の青森は、外走りするのもままならないことがあるので(冬場のランを全く苦にしない方もたくさんいますが、僕はかなり苦手です)、改めて読み返すことで、この時期にどんな練習をしていたのかを見直す一つのきっかけにもなります。
以前は「Number Do」という雑誌に付いていたランナーズ手帳を愛用していました。ほぼ日手帳の監修だったものが、2017年版は、高橋尚子さんも監修に参加した手帳となり、非常に使い勝手が良く、本当にスラスラと練習内容やレース結果を記していたのですが、2018年版は今のところ同梱される気配がありません。
まあ、普段使っている手帳に書くのもいいのかも知れませんが、仕事の内容もランニングの内容もゴチャゴチャと手帳に書き込まれたものはあまり見栄えがいいものではありません(仕事の内容がたくさん書き込まれることもないのですが)。
今、代用品を探しているのですが、なかなか手頃な大きさのものが見つからず、最後は自分で作るしかないのかな、と考えているところです。

さて、どうせ走るんだったら、1秒でもいいから速く走りたいと思うのは、先ほどもお話したとおり。でも、毎回毎回それを狙うには、レースとレースの間隔が少し短すぎるようです。これから先もずっとマラソンを楽しむためには、走る時期やレースなど、ある程度の取捨選択はやむを得ず、そこからターゲット(勝負レース)を絞っていく、ということも必要になってくると考えています。いや、もちろんそれなりのお金を払って出場する以上は、結果を出さないと、とは思うのですが、裏を返せば、結果を出すためにどれだけ練習を積んでそのレースに臨むか、ということになるのかな、と。
「レース出場も練習の一環」と捉えることもあるのでしょうけれど、色んな意味でそんな余裕ないんですよね…。

昨年、バースデーランとなった勝田全国マラソンへの出場は、今年は見送りました。実はこれ以外にも、出場したいと考えていた幾つかの大会出場を断念しています。一番大きな理由は、「4月から新たに配属となった業務の中身が見えないから」でした。しかし、結果的には無理に断念する必要もなかったようです。今となっては失敗したな、という思いも強いです。

今月末には47歳を迎え、いよいよ50歳の足音が聞こえて来ます。
ひとまず昨年からの積み残し(宿題)は何とか消化しないといけないな、と思っていますし、やらなければならないことの消化に向けて、レースや練習などをどう組み立てて行くかが大事になってきます。嗚呼、なんかすっかりランナー気取りですね。どうもすいませんね。

そんな中、実は既に幾つかの大会にエントリーしておりまして。

まずは3月の「古河はなももマラソン」。初出場の大会です。
開催される日が東日本大震災から7年目の節目となる3月11日だということ、虹の橋を渡ったうちの愛犬が「ハナ」と「モモ」だったということ、これだけで出場を決めました。…って、理由が安易でしょ?
ただ、出場する以上は、それなりの結果を求めたいと思っています。
2017年は「北海道マラソン」の後の「田沢湖マラソン」で大失速をやらかしてしまい、それから走りに迷いが出始めました。
あの時の反省を踏まえ、まずは一定ペースで走りきることを念頭に置きたいと思います。イメージは北海道マラソン。最低限(表向き)の目標は、安定の3時間15分切りということで、3時間14分59秒。これを達成するためには、やや強めのトレーニングを積まなければならないところではありますが、強めと考えるトレーニングが、いつしか平時のトレーニングになるよう、少しでも目標に近づくために頑張りたいと思います。

4月の「イーハトーブ花巻ハーフマラソン」は、今回で5回連続出場となります。このコースは、これまで3度ハーフの自己ベストを更新している相性のいい大会。しかし、この驕り、勘違いが大失敗を生むということもあるので、そうならないよう慎重に走りたいと思います。(実際、残り1度は脚の痙攣で大失速しているので。)

この他にも、5月に五所川原市で開催される「走れメロスマラソン」はハーフでエントリー済み。
「メロス」の2週間前、昨年自己ベストを更新した「仙台国際ハーフマラソン」は、陸連登録の部が来週9日からエントリー開始となりますが、久し振りに八戸市の「うみねこマラソン」に出場しようかと、ちょっと悩んでいるところ。
「北海道マラソン」は今年8月26日に開催されますが、エントリー開始が3月4日(日)と例年より1か月早くなっているので要注意。
昨年残念な結果に終わった「田沢湖マラソン」は、大会の間隔を睨みながらどうしようか思案することになりそう。

ざっと挙げるとこんな感じでしょうか。この他、昨年は出場を見送った「さいたま国際」をどうするか、思い切って「NAHA」に高跳びしようか、「勝田」はどうしよう、10キロのレースも何本か出場したいな、などとプランを練り始めると止まらなくなってしまいます。

とりあえず、いかなる場合も平常心で、冷静にレースに臨めるような姿勢で挑む。
そう考えると今年は、フィジカル面よりもメンタル面の強化が重要になってきそうな気がします。

昨年の北海道マラソンみたいに、激しい動揺にも打ち勝つ強靱な精神力でレースを迎えたいものです。でも、あの精神状態であのレース運びができるなら、もうちょっと上を目指せると思うんだけど、逆にあの精神状態まで追い込まれるのだけは、もう勘弁して欲しいなあ(笑)。

祖母と茶碗蒸し

津軽の正月は、事実上大晦日の夜から始まる、といってもいいんじゃないだろうか。正月を迎える、というよりも、正月を待ちきれず、年越しを楽しむみたいな感じで。

小さかった頃は、家族揃ってその年の出来事を語り合い、レコード大賞を見ながらああだこうだと苦言を呈し、その後紅白歌合戦を見ながら歌に衣装にケチをつけ、母がこしらえたたくさんの料理に舌鼓を打ち、22時過ぎ、無理矢理年越しそばを流し込み…。
除夜の鐘の音が聞こえる頃には高校の友達と連れだって初詣に出かけたこともあったが、大学生となり、年末年始のアルバイトを始めるとともに終了。その一方では、僕自身も台所に立つようになり、母をサポートするようになった。

そしていつしか、年越しには欠かすことのできない「なまこ酢」と「茶碗蒸し」の製作は、材料の下準備から味付けまで、全て僕が担当するようになっていた。更には、まるでオードブルか盛皿かといった大きな容器に料理を盛りつけるようになり、妻の実家や妹夫婦、更には北秋田にある母の実家などへ、うちからのお歳暮のような形で届けるようになった。

(昨年暮れに製作した一つ。もちろん非売品です。)

今年も例年同様、30日の午後から料理の製作を開始したが、何とも言えない物足りなさを感じていた。それまで毎年欠かすことのなかった新年の北秋田訪問を、今回は見送ると母が突然宣言したためだ。


(昨年暮れのナマコはちょっと小ぶりだったらしい。税抜きで1kg 3,980円。)

ひょっとして何か関係を悪化させるような事態が発生したのだろうか?
余計な詮索をしたくなるところだったが、どうやら毎年母に同行していた妹と甥が同行できないかも知れないということで、母自らハンドルを握って北秋田へ向かうことが億劫になったらしい。

考えてみると母は今年古希を迎える。いくら道路事情が良くなったとは言え、冬に長距離を一人で運転するのが面倒になる、そういう年代になってきたということなのだろう。
ただ、例年であれば年明けとともに喜び勇んで出かける準備をしていたのに、180度方針転換とも言える母の心境の変化には、こちらがちょっと戸惑った。

しかし、これに異を唱えたのは妻だった。毎年恒例のルーティンとも言える行事を、こういう形でやめてしまうことが、どうも腑に落ちなかったらしい。
結局、元旦の朝早々に初詣を終えた後、妻の発案で北秋田に向かうことになった。
ただし、日帰りで。

更に、妹も甥も僕の車に同乗することになり、結果的にはいつもの新年より人数の多い状態(しかも我が家の愛犬チョコまでも同乗)で北秋田へと向かった。(新年、僕は不定期で北秋田を訪れているが、妻は毎年決まって留守を預かるのだ。)

東北道を利用し、1時間20分ほどで北秋田市にある母の実家に到着すると、伯父が一人でテレビを見ていた。従姉は出かけたという。
かつては大きなテーブル2つでも足りないほどの人数が集まった新年の光景は、そこにはなかった。今は伯父と従姉の二人暮らしとなった母の実家に、弘前から5人で押しかけてはみたものの、どこか一抹の寂しさを感じながら、祖父母と伯母の仏壇に手向け、1時間ほどで北秋田を後にした。

考えてみると新年の北秋田訪問は、祖母への新年の挨拶、そして祖父と伯母に手向けることが主たる目的だった。年末年始のバイトで疲れていた時でさえ、僕だけ別行動で北秋田に向かったことがあった。
自分が結婚し、やがて生活のペースが夫婦主体となり、初めて僕が北秋田に行かないことを告げた時は、母が僕と一切口を聞かなくなるぐらい険悪な雰囲気に陥った。逆に、「行かない」と言っておきながら奥羽線の特急電車に乗ってこっそり後追いし、年始のドッキリと称して電撃訪問したこともあった。(ところが、訪問したら家には鍵が掛けられていて人の気配がなく、逆にドッキリさせられたけれど。)
それぐらい、新年の北秋田訪問は「当たり前」の行事だったのだ。

そして、北秋田での新年の恒例行事と言えば、「誕生祝い」であった。
僕の妹が1月2日、祖母が1月3日に誕生日を迎えるということで、いつも合同での誕生祝いを、母方の親戚一同で行っていたのだ。

「いくちゃん、ばあちゃん、おたんじょうびおめでとう」とチョコレートで描かれた大きなケーキが用意され、二人でロウソクの火を消すのが毎年目にする光景だった。こうやって妹は、新年と誕生日を一緒にお祝いされてしまうため、ちょっと可哀想だな、と思う反面、親戚みんなから祝ってもらってちょっと羨ましいな、と思うこともあった。

しかしその祖母も病には勝てず、5年前の6月に享年96歳で他界。それから約10か月後には、妹に長男が誕生した。うちの母にとっては初孫だったが、祖母はその曾孫の顔を見ることもなく、旅立った。でも、まるで祖母の生まれ変わりみたいなタイミングでの誕生に、親戚一同が湧いた。

閑話休題。
当番を任された新年の「茶碗蒸し」は、しばらく品質が安定しなかった。卵スープみたいな出来映えになってしまったり、いわゆる「巣が通る」状態になってしまったり。それでも北秋田の親戚は、「美味しい」と口にしながら食べてくれた。恐らくお世辞もかなり含まれていたんだろうけれど、食べてもらえること自体がちょっと嬉しかった。(…まあ、茶碗蒸しは味付けさえ失敗しなければ食べられない、ってことはないから。)
自信を持って製作できるようになったのは本当にここ数年のこと。もっとも、電子レンジのなせる業、と言ってしまえばそれまでだけれど。


(2017年暮れの茶碗蒸し)

僕の作る「茶碗蒸し」の具材は、鶏のささ身、栗、百合根、三つ葉、舞茸、糸こんにゃく、なると。銀杏やエビは入れない。
出汁は鰹節と昆布、干しシイタケから取り、酒、砂糖、塩、醤油、みりんで薄めに味付け。
溶き卵と出汁の割合は、概ね1:3.3。この「0.3」の加減で、出来具合が大きく変わる。溶き卵は一度網杓子をくぐらせて濾し、余計なモノが入ってダマにならないようにする。

器には具材を先に入れ、よく攪拌した溶き卵と出汁をゆっくり器に注ぐ。その際、表面に巣が立たないよう、もう一度網杓子で濾しながら注ぐ。
あとは、電子レンジでお任せ調理。大体18~22分で完成。

鶏のささ身ではなくエビを投入することもあるし、昨年はエビの頭で出汁を取ったスープに片栗粉でとろみをつけ、あんかけ風茶碗蒸しにするといったバージョンも。いちご煮のスープをベースにして作ることもある。
年に1~2度しか作らないけれど、その分、作るとなればいつになく気合いを入れて作る。
甥っ子は、「なると」を切ると現れる「の」の字に「おじちゃんの「の」だね。」と喜色満面。

(2016年暮れの茶碗蒸し。柚子の皮が入っていない。)

そんな茶碗蒸しといえば、祖母との思い出が忘れられない。
祖母が施設に入る直前の正月だったと記憶している。
年老いた祖母に少しでも美味しいものを食べて欲しいという一心だけで「茶碗蒸し」をこしらえ、大成功に仕上がったそれを持参。
ところが、その茶碗蒸しを口にした祖母が発した強烈な一言に、僕は凍り付いてしまった。

「ワイ!この茶碗蒸し、何も甘ぐネジャ!」

祖母は、「赤飯」然り「茶碗蒸し」然りで、いわゆる「砂糖甘いおかず」を好んで口にしていた年代。
そのことをすっかり忘れていた僕は、全く甘くない(というか、ごく普通に出汁を利かせた)茶碗蒸しを作って持参したのだ。しかも、栗を入れ忘れるという失態。

何の悪気もなく発せられた祖母の一言に周囲は爆笑。
「そんなことないよ!甘くなくても美味しいじゃない!」と、懸命にフォローしようとする親戚。それが逆に僕の心を深く傷つけてしまったというか、何というか…。

しかしながら、結局その後も「サドアメ(砂糖甘い)茶碗蒸し」は一度も作って持参しなかった。せめて祖母の分だけでも「サドアメ茶碗蒸し」にすれば良かったかな、と今更ながら後悔の念も。ただ、祖母が僕の茶碗蒸しを口にしたのは、その後1度ぐらいしかなかったのかな。祖母の「名言」は、未だに語り継がれているけれど。


(祖母と両国国技館にて。今、色んな意味で話題の貴乃花親方がまだ横綱だった時代だったと記憶。)

毎年、茶碗蒸しの製作に取りかかるたびに思い出す、僕にとってはちっとも甘くない、むしろ「ほろ苦い」茶碗蒸しの思い出でした。

【謹賀新年2018】 福袋のこと 【Starbucks】 #starbucks #福袋

あけましておめでとうございます。2018(平成30)年がスタートしました。昭和から平成へ年号が変わり、その2か月後に高校を卒業し、あれからもう30年も経ったのかと思うと、新年なのに色々感慨深いものがあります。
初夢に出てきたものは、「つけ麺」と「薬局から処方された大量の薬」と「とある町」。
さて、これらのアイテムが何を暗示するのかはわかりませんが、もう少し年相応に落ち着いた行動に努めたいと思います。

元旦は朝7時過ぎに弘前八幡宮へ。津軽地方には「一代様」と呼ばれる風習があり、弘前八幡宮は戌亥の守り本尊が祀られています。なお、「一代様」については検索するとネット上にたくさん文献がありますので、そちらをご覧ください。

混雑覚悟で弘前八幡宮に到着すると、思ったほどの混雑ではなく、わずか10分で参拝を終えることができました。

初詣の後、事前に当選通知が届いていた福袋を購入するため、スターバックス弘前公園前店へ。
どうやら相当早い来店だったみたいで、店内にいたお客さんは僕一人だけでした。この店舗で受け取れるというのが、何だか嬉しいですね。

「あけましておめでとうございます!あ!福袋ですね!おめでとうございます!」
Wでおめでとうを言われ、何だかちょっと恥ずかしい…。

今回、スターバックスの福袋が抽選販売になるとのメールが届いたので、まあ、とりあえずエントリーだけしてみるか…きっとみんな当たるんだろうけれど、なんていう安易な気持ちで登録したのです。
それが当選メールが届いた後に周囲から聞こえてきた声が「えっ!当たったの?羨ましい!」というものばかり。安易な気持ちとはいえなんかちょっぴり勝ち誇ったような気分になりました。

でも、福袋って、あんまりいい思い出がないというか、正直そんなに食指が動くってワケでもないのです。
確かに各社が言うように価格的にはお得なのでしょうけれど、一度購入した衣料品の福袋、B級品といえば失礼かもしれませんが、これって店頭に並んだんだろうか。いや、最初から福袋に入れるために作られた商品なんだろうな、といった雑多なものばかりが入っていたことがありました。

以前、AppleでもLucky Bagという名前で福袋を販売していたことがありました。それも、ネット上で。数量限定、しかもいつ販売が始まるかわからないという状況の中、たまたま夜中に販売開始されているのを発見、予約完了した時は、それはそれは興奮しました。しかしながら、その年のLucky BagにiPod本体の姿はなく、アクセサリー(それも「走れ」と言わんばかりのランニングに関するアイテム)ばかりが入っていた、ということがありました。

こんな感じで、福袋も悲喜こもごも。

さて、肝心のスターバックスの福袋はどんな感じでしょう。税込み6,000円のパッケージの中には、いったい何が入っているのでしょうか。既に公開されているみたいなので今更感満載ですが、自分自身の備忘録、ということで。
外観。アイボリー×デニム地のトートバッグ。大きさは約30センチ。(価格不明)

中身。覗き込むとこんな感じ。

今回の福袋専用の保冷バッグ(価格不明)が出てきました。トートバッグと同じデニム地で、缶ビール4本ぐらい入りそうな大きさです。

コーヒーはハウスブレンド(1,050円)とパイクプレイス(1,140円)の中挽き。
シュガーも今回の福袋限定みたいです。

そして、今回の福袋のメインアイテムなのでしょうか。THERMOS製のステンレスボトル(4,400円)。

デザインは完全にクリスマスですが…(笑)。

これに、610円までのドリンク1杯と交換できるビバレッジカードが4枚(2,140円)。

ちなみにこれまで( )内に記した金額は全て税抜き。足し算すると…8,730円。税込みで約8,900円。非売品のバッグなどを加えると、概ね1万円、といったところでしょうか。

ビバレッジカードで胸を張って「ショートラテお願いします!」
これだけは絶対にやらないように気をつけようと思います。

ということで、今年もよろしくお願いします。