Monthly Archives: 9月 2013

30キロの壁は脳が作り出す?

昨日、今季3度目となる30キロ走を試してみた。今回は、10月にエントリーしている地元で行われる「弘前・白神アップルマラソン」のスタート時刻に合わせて、午前9時に自宅を出発し、全く同じコースを試走。約17キロ先にあるコンビニで折り返し、戻って来るという算段だった。

ウェストポーチにはあらかじめ用意しておいた500ミリのドリンクと、アミノ系のサプリメント、携帯用のゼリー、そして忘れちゃならない塩のタブレット。

そして9時過ぎ、秋晴れの爽やかな風が吹く中、自宅をスタートした。
トライアルではなくLSDをイメージしていたのだが、最初の1キロが5分15秒とLSDと呼ぶにはほど遠いペース。これを何とか抑え、5分30秒を切るぐらいのペースでずっと走り続けた。

チビリチビリと水分を補給しながら、それほど苦痛とも感じることなく、緩い上りを走破し、1時間40分後には折り返し地点のコンビニに到着。ここでアイスクリーム一つを平らげる。
ホッと一息をついて、復路スタート。

以前、朝練の時にも話題になっていたのだが、上りの逆ということで、当然のことながら復路はしばらく緩い下りが続く。調子に乗ってスピードを上げると、後でガツンとしわ寄せが来るということを聞いていたので、抑え気味にゆっくりと走る。

もっとも、緩い下りということもあるのかも知れないが、心なしか往路よりも短い距離のようにも思える。
しかし、25キロを過ぎた辺りから、少しずつ足の裏と膝に疲労が溜まりはじめているのがわかる。
徐々に足取りが重くなってきていたのだ。

それでも、レース最後の関門とも言われている緩い上り坂(最近の平日練習は専らこの坂の上り下りが行われているらしい)を思った以上に難なく上りきり、いよいよラスト6キロに差し掛かった。

ところが、である。

残り4キロを過ぎた地点から、途端に足が動かなくなった。前に進もうにも足が走ろうとしないのだ。そしてその時、僕の頭の中ではこの先の道のりを走り続けることについて、ほぼ諦めつつあることが何となくわかった。

フルマラソンを走ったことのない僕にとって、32キロを超える距離は未知の世界。今日はその未知の世界に足を踏み入れようと興味津々で臨んでいたのに、未知の世界の前に、目に見えない巨大な壁が立ちはだかった。

31キロ付近で走ることをやめ、そこから約1キロ歩きながら、走れるか?どうだ?と自問自答を繰り返すが、脳が走る方へのスイッチを再びオンにすることが、この先ないだろうということが明らかになった時点で、今日のトレーニングを諦めた。

コンビニに立ち寄り、炭酸飲料を一気飲みする。頭をかしげながら、沈思黙考。

…一体何なんだ、これは。
というか、これが30キロの壁っていうヤツですか…。

思い当たるフシを色々考える。朝食で摂った炭水化物は茶碗1杯にも満たない米のみ。これか?
それとも、最初に5分15秒で入ったのがオーバーペース過ぎた?それとも、週末のオーバーワークが祟った?
いや、30キロ手前の上り坂で力みすぎて、その後の力が抜けた…?

何だろう、わからない。いや、わかるはずがない。
それよりも、未知の壁にぶち当たったということのショックが大き過ぎた。初めて味わう屈辱にも似た失望感。こんなに走れなくなるんだ…。今の走力がこれだけなんだ、もっと練習しようぜ、と割り切ればいいのかも知れないけど、何ともやりきれない思いを抱えたまま、そこから自宅までの約2キロを、文字通りトボトボと、重い足を引きずりながら帰宅。

10月のフルマラソン初挑戦は、決してタイムを求めているわけではなく、むしろ自分に42.195キロを走りきる気力体力が備わっているのかを確かめてみたい、という思いからのエントリーだった。格好良く言えば、自分自身への挑戦みたいなものだ。今回に限っては、結果なんていうのは後からついてくればいいのだ。

しかし、ひょっとしたらフルマラソンに耐えうるだけの実力が未だ備わっておらず、そのレベルにすら達していないのではないか、というのが、壁にぶち当たってみて真っ先に感じたことだ。

でも、待てよ。シャワーを浴びながら、白い粉のように浮かび上がった汗の結晶を流しながら、ふと思った。

実はそこに壁はなかったのではないか?

3時間走り続けたことに飽きて、走るのを止める口実を作りたかったのではないか。
確かにあの時足は動かなくなったが、それを壁だ何だと理由付けて、走ることを止めた。
そう考えると、壁を作っているのも、足を止めたのも、全ては脳の仕業なのかも知れない、と思った。実に都合のいい解釈だけれど。

そして、改めて感じたこと。フルマラソンに備え養わなければならない力が、4つある。
気力、体力、能力、そして脳力。

能力は備わっていないが、気力、体力があれば、ゆっくりならば何とか走り続けることはできるかも知れない。
そして、やがて訪れる30キロの壁、あるいは未だ見ぬ35キロに立ちはだかる更に巨大な壁にぶち当たったとき、自分の脳を諭し(騙し)ながら走れば、意外とフルを完走することは難しくないのではないか。
フルマラソンを走るためには気力や体力だけではなく、頭を使って考える戦略も必要だという理論に、何となく納得した32キロ走だった。
しかし、頭で考えるほどマラソンは容易いものではないということを改めて感じたこの日の試走。

結局、フルマラソンを完走するという自負をすっかり失っちゃいました…。2509090902

WordPressに乗り換えた後の実験投稿

先日までこのブログを動かしていたMovableType(MT)というソフトウェアがアップデート版(5.2.7)を提供し、それに乗っかって何の気なしに更新作業を行ったら、記事の投稿が全くできない状態に陥ってしまった。

何で投稿できないか、思い当たるフシが一つだけあったのだが、そのフシに関するメモ(備忘録)を残していなかったため、結局原因を突き止めることができぬまま、1か月近くが経過。

結局8月は1つの記事しか投稿できず、さてはいよいよブログの更新に飽きたか?と思われた方がいたのかどうかは知らないが、いずれにせよその間、ネタにしたかったあのことや、是非とも書きたかった例のことなどが、忘却の彼方へと消え去っていった…。

で、悪戦苦闘した挙げ句、結局MTのアップデートを諦め、WordPress(WP)という新たなソフトウェアへの乗換えを決め、先にバックアップしていた記事データを全て移行した。
これがまたあまりに簡単で、たかがブログで悶々と悩んでいた自分がアホらしくなった。

ちなみにMTについては完全に「さようなら」をしたワケではなく、過去の産物を残しているブログは相変わらずそちらで稼働中。なので現在は、MTとWPの両刀使いという、知らない人にしてみれば何のこっちゃ?という状態を保っている。

ところで、WPに乗り換えたはいいものの、約10年に渡って慣れ親しんできたMTからの乗換えは、ある意味ワープロに慣れた人がパソコンに触れてみた時と同じぐらい、最初はかなり操作に戸惑った。

で、一番戸惑いを覚えたのが、Facebook(FB)ページへの自動投稿機能が働いていない、ということだった。
このブログは、FBページへの自動投稿を行うため、FB上にアプリとページをそれぞれ作成していたのだが、MT→WPとした結果、どうやらアプリが機能しなくなってしまったらしく、結果的にブログの更新内容もFBには反映されぬまま。

所詮大した内容を記事にしていないことは自分でも重々承知のつもりだが、多い時では一日500人、平均すると大体50人ぐらいの来訪があったにもかかわらず、ここ最近の来訪者数が1ケタというのはかなり寂しいことであり、読み手のいないブログなど、もはやブログとして機能していないに等しい(…とある人が言っていた)。

…なのでこれを機にいっそブログなんぞやめちまおうか、なんてことも考えたのだが、備忘録のように10年も続けてきたブログをやめる理由が「ソフトウェアのアップデートに失敗した挙げ句、FBの連携ができなくなったから」って、何か自分がとてつもなく年を取ってしまったような気がして、それだけはやめよう、ということにした次第。

で、結局WPからFBに自動投稿するプラグインがあることを知り早速設定してみた。

MTだWPだFBだと、何だか意味のわからない投稿ですいません。
…ということで今回の投稿は、そのプラグインが上手く作動するかどうかを確認する実験投稿だと思って頂ければ、これ幸いです。

第23回啄木の里ふれあいマラソン大会2013

2013年9月1日(日)。今年3レース目となる大会(リレーマラソンを除く)に参加してきた。
盛岡市玉山区で行われた「第23回啄木の里ふれあいマラソン大会」。

昨年参加した方から聞いた話では、例年非常に暑い中での大会となり、また、コースの起伏も思った以上にあることから、タイムは期待できない、とのこと。

それでも、今年はどうも今ひとつ昨年のような走りができていない(というか昨年から何も変わっていない)ような気がしていて、全然練習の成果が出ていない。なので、この辺りでそろそろ一発、自分でも満足できるようなレース展開を繰り広げてみたい、というのが本音だった。

そこでエントリーした本大会。
スタート時間が1時間繰り上がり、今年は9時30分スタートとのこと。これだけでも多少暑さはしのげるんじゃないかと、淡い期待を寄せる。

しかし、青森県内は前日の土曜日から激しい雨に見舞われ、暑さどころか雨の心配をしなければならなくなってしまった。
天気予報では日曜日は曇りとのことであるが、未明まで降り続いた雨が気になって、正直あまり眠れなかった。
日曜日は朝5時に起床。いつも一緒に練習しているメンバーでこの大会にエントリーしたのは僕ともう一人しかいなかったことを前日に知ったのだが、一人で向かうのも何か心細いので、無理矢理走ることには全く興味のない妻を同行させた。

7時45分頃に会場に到着すると、既に近くの駐車場は満車となっていた。妻は「こんな時間から混雑するはずがない」と言っていたのだが、その混雑ぶりを見て、ちょっと驚いていた。
エントリーを済ませ、妻を残して一人軽めのウォームアップ(ちなみに妻は、啄木記念館を見学する、と張り切っていた)。

9時前にはいよいよスタート付近に到着し、入念に硬い身体をストレッチ。
10分前にはいよいよスタート地点に人が集まりはじめ、僕もその中に混じった。

「蒔苗さん!」

ふと見ると、昨日一緒に練習をしていたK子さんの姿が。K子さんは10キロへのエントリーで、我々がスタートした10分後のスタートとなる。
「お互い頑張りましょう!」とガッチリ握手を交わし、いよいよスタート時間が来るのを待つ。

9時30分。号砲一発、選手が一斉にスタート。
これまでの反省を踏まえ、まずは最初から突っ込まないように慎重に走り始める。道幅がそれほど広くなく、前に行こうにも進めないので、まずは当初の目的は果たせた。
徐々にペースを落ち着かせ、大体キロ4分30分ぐらいにとどめて呼吸を整えた。

…うん、このペースなら大丈夫そうだ。あとは、事前にリサーチしておいた5キロから8キロにかけての上り坂、折り返した後の14キロ前後の上り坂さえクリアできれば、それなりのタイムは出るだろう、と踏んでいた。
目標タイムは1時間35分を切る!と言いたいところだったが、せめて37分台、できれば今年のベストタイムでゴールできれば本望、というのが本心だった。

しかし、この日は雨上がりの後で風がなく、何よりも時折照りつける日差しが強い。
9時時点での気温が27度を超え、湿度は60%台だというのだから、走りやすい、という気候ではない。
ただ、比較的短い間隔で給水ポイントが設けられていて、喉の渇きに悩まされることはなかった。
中心部を抜け、あっという間に郊外に入ると、ここからいよいよダラダラと上り坂が続く。
この上り坂で息が上がる人もたくさん見かけたが、僕はさほど苦しいとは思わずに8キロ手前のてっぺんを通過。あとは下りで加速せず、脚力を温存。

とはいえ10キロ通過が47分。決して速い方ではない。このペースだと、1時間40分も切れるか危うくなってきた。

それにしても、折り返しとなる11キロ付近まで、ダラダラと上り坂が続く。5キロから先は平坦なところが一つもない。まあ、折り返した後は一度上ればあとは下りが続くし、最後は平坦なので、何とかなるだろう、と踏んでいたのだが、実はこれが大きな誤算だった。

折り返し地点ではアク○リアスのハンディパックが手渡される。坂を上り終えたあとの嬉しいご褒美だ。
少しずつチュウチュウ吸いながら、ちょっとペースを上げる。とはいえまだ難関が待っているので、ここでの過度のペースアップは禁物。
…実は5キロ付近から、二人で走る男性陣のスピードがちょうど良いことに気がつき、ずーっと彼らの背中について行った(もちろん悟られないように)。
一度14~15キロの上りで離されるも、再び背後に付け、この時点で大体キロ4分30分のペースで走行。しかし、この辺りから徐々にペースが落ち始めているのがわかった。

17キロを過ぎ、市街地ではなく水田地帯のある方へ右折。そういえばそうだった。市街地に戻るコースではなかったのだ。ところがここがまたくせのあるイヤらしいコースで、決して急でもないし長いわけでもない細かなアップダウンが、疲労の蓄積しはじめた足を虐める。しかも、17キロ付近からは右足底に痛みを感じ始め、気が散漫になってきた。

もはや自己新なんて望めるわけもなく、こうなると1時間40分を切るか切らないかのせめぎ合い。あとは、完全に自分との勝負。

20キロの最後の給水。
残り1100mと言い聞かせるも、足が前に進んでいかない。もう、歩きたい。そんな思いに駆られる。前方を走っていた例の二人組は18キロ付近で抜いたけれど、そのうちの一人がラストスパートをかけたらしく、軽い足取りで僕の横をサッと通り過ぎていく。

自分の不甲斐なさがグッとこみ上げてきて、ここからまたペースを上げる。もう、倒れてもいいぐらいの気力を振り絞ってみろ!
残り500m。女性カメラマンの方が「No Apple!頑張って下さい!もう少しです!」
初めて声援を受けて力が入る。
残り300m。これで最後だと思ったら、またペースが上がった。右手には、先にゴールしていたK子さんが声援を送る姿が見える。
文字通り息も絶え絶えの姿で、応える気力もない。完全に腰が下がり、足に疲れがどんどん蓄積しているのがわかる。でも、最後は絶対笑顔でゴールするんだ!
残り100m。幸か不幸か僕の前には誰もいない。ゴールゲートに向かって左折すると、ゴールテープを手にする係の方が見えた。
その時僕は、何を思ったか胸に描かれた「No Life,No Apple」のロゴを両手で誇示し、そのまま笑顔で両手を突き上げてゴール。

1時間39分11秒。昨年初めて走ったアップルマラソンのハーフ時の時間より3分遅く、今年の春に大館市で行われた山田記念を走った時より2分遅かった。

初めて走った公認コースは、何ともほろ苦い感が尾を引いた。
ゴール後の給水ブースで3杯もドリンクを飲み、重い足を引きずりながら完走証を受け取りに行く。

程なく、K子さんが僕の姿を見つけて駆けつけてくれた。
「お疲れさまでした!どうでしたか?」
「いや…何とも微妙なタイムだったんですけど…K子さんはどうでしたか?」
「私、15位でした!でも、暑かったしずっと上りだったし、きつかったです。」

…15位って…凄いじゃないですか!
お互いの健闘をたたえ合い、K子さんと別れた。

参加者には昼食としておにぎり2つとゆで卵が2つと豚汁が提供された。
無心で豚汁を貪り食う。太陽の日差しが照りつけているが、全く気にならない。

…嗚呼、そういえば碇ヶ関のたけのこマラソンの時も、走り終えたあとにタケノコ汁を貪り喰ったな…。

豚汁を食べ終え、おもむろに妻が待つ車へと向かう。
どうだ?自分の走りに満足したか?
ずっと自問自答を繰り返す。

後悔はしていない。けど、自分の走力のなさにちょっと辟易した。今日の大会は、水分も塩分も充分補給できたし、体調だって、完璧ではなかったけれど、かなり良い方だった。正直、満足行くレベルまで届かなかったけれど、1時間40分を切れたことはヨシとしよう。でも、練習の中身を見直さないと、10月のフルマラソンでサブ4を狙うのは、かなり厳しいんじゃないかな…。
そんな現実を突きつけられた今回の大会。でも、体調管理や天候、その他諸々を勘案しても、結局のところこれが今の実力ってことなんだよね。

ふと、大好きな村上春樹氏の著書「走ることに語るときに僕の語ること」の第1章にこんな記述があることを思い出し、帰宅後に読み返した。「走り終えて自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。」…うーん、ちょっと記録更新に固執し過ぎて、完走する楽しみや喜び、誇りを忘れていたかも。

15日の田沢湖マラソンも公認コース(フルマラソンは公認を外れたけれど、20キロは公認コースのままらしい)だけれど、自分の力量を過信することなく、あまり気負わず走ることにします。