5度目の「ふるさとがえり」は、歴史ある映画館で。 #ふるさとがえり

JR大館駅から程近いところに、60年以上の歴史を持つ「御成座」という映画館がある。複合型の映画館が大勢を占める中、東北地方で唯一となる単立の映画館として、今も残っているとのこと。

ここを会場に、映画「ふるさとがえり」の上映会が開催されること、脚本を担当された栗山宗大さんを招いてのトークショーが開催されるということで、台風10号の進路を気にしながら、休暇を頂いて大館市に足を運んだ。

全国でも数少ない「有人の踏切」として知られていた旧小坂鉄道の御成町踏切も目と鼻の先にあった。

今は廃線となって道路から線路が外され、踏切の構造物だけがまだひっそりと残っている。(実はこういう鉄道の遺構を見かけると、かなり心がときめいてしまう。)

強い雨が時折降っていたが、上映前に廃線の跡を少しだけ散策してから、会場に向かった。

会場に向かう前に、踏切跡の目の前にある「わっぱビルヂング」にて、関係者の皆さんそして久しぶりの再会となった同志の皆さんとご挨拶を済ませた。

その後、上映会の開催される御成座へ移動。この日は3度の上映を予定していて、2回目の上映が終わったあと、3回目の上映の前に実行委員会のSさんと栗山さんが登壇、トークショーが開催された。

自分でも密かな夢とか目標とかを朧気に抱いているけれど、結局それが叶っていないのは、痛みとか苦しみとかを伴っていないからなのかな、とか思いながら、栗山さんのこの言葉にハッとさせられた。

結局自分の都合のいいように、見たいようにしか世界を見ていないんですよ。裏を返せば何でもある。

…そうなんだよね、物事に対する解釈って、自分の匙加減で決まるといっても過言ではないんだよね。

進路や人生に悩む女子高生が栗山さんに言葉を投げ掛けた。
この先私たちが社会を背負っていかなければならなくなる。色々迷いや悩みもある。なにかアドバイスを頂きたい。と。
栗山さんの言葉は、「ふるさとがえり」の内容をなぞらえるような示唆に富んだものだった。一方で、痛烈な一言も。

昭和平成を歩んできた大人の言葉を真に受けるな。

クスッと笑いながら聞いていたが、その大人がまさに自分だということにすぐ気付き、肩身が狭くなる思いだった。

かつての社会は、平均的であることが理想とされていたように思う。時と共に良くも悪くもちょっと社会からズレたような人たちに光が当たるようになり、下手をすれば個性の名を借りた単なる勘違い、場違い、目立ってナンボの行動が許容されるようになったことが、徐々に日本人の中にあった調和を乱し、社会構造を大きく変えた。

しかし、その個性だって猿真似ばかりの仮面を被ったようなものばかりで、仮面を剥ぎ取ってみれば実は没個性的。やがて国民の大半がカオナシだった、ってことにならなければいいけど。

人前でお話しする機会(といってもほとんどないけれど)を与えていただいた時にお話をするのが、点と線、線と面、面と円、円とご縁の話。

何か突出するような秀でた能力を持っていても、人間同士の繋がり、線や面を持ち合わせていないと、その能力が本当に発揮されているかどうかはわからない。

人(点)と人との繋がり(線)って本当に大切だと思うし、ダイバーシティが目指すべき社会の姿、あるべき姿なのかどうかは知らないけれど、少なくとも人と人との繋がりが共生を築き、そして多様性を作り出す、のかな。

閑話休題。
18時ちょうどから始まった上映会、50人は会場にいたんじゃないだろうか。
毎回グッと来るポイントがあって、その後は涙を拭いながら鑑賞することとなり、場面と台詞が入って来ない、ということが続いていたので、今回は努めて冷静になってスクリーンに食いついた。

そうか、この場面はこんなやり取りがあったのか。なんて、5回目に初めて気付く発見もあったりして。初めて一滴の涙も流すことなく、最後まで見届けることがようやくできた。

上映後、予定になかった栗山さんと実行委員長とのやりとり。

栗山さんがずっと感謝の言葉を口にしていた。そう、この映画館自体が居心地のいい場所なのだ。時折聞こえてくる何かのモーター音や外からの赤ちゃんの泣き声、こういうアクセントが昔の映画館には確かにあった。

終演後、手短に挨拶を済ませ、ここしばらく抱えていたモヤモヤや鬱積した何かを洗い流し、台風の雨に打たれながら帰路に就いた。

そうだ、そういえばこの映画を観る時は、いつも何かを抱えているか壁にぶち当たっている時だ。そしてこの作品を観る機会が、そんな何かを解き放つタイミングと合致する。つまり、この作品を観たいと思う時が、そんな何かを抱えている時なのだろう。

さて、次回はどういったタイミングでこの作品を観ることになるのだろう。