2026年3月11日で東日本大震災から15年という節目を迎える。
3.11に寄せる思いは、これまでも幾度となく投稿しているが、改めて思いを新たにしたい。
〇2011年3月11日 午後2時46分
僕は6階建の庁舎1階にある職場内にいた。大きく長く続く揺れ。不気味に軋んだような音に、建物倒壊の恐怖を覚えた。咄嗟に頭をよぎる。家は大丈夫だろうか。家族は無事か?
職場内の電気が消え、機転を利かせた職員の携帯電話のワンセグ機能から得られる情報だけが頼みの綱だった。10メートルを超える巨大津波がやってくると声を震わせる。
言葉を失うとは、まさにあのことだった。
何とか無事に帰宅。光を失った街の頭上に、これまで見たことのないぐらい澄んだ星空が広がっていたことが記憶に甦る。
〇あれから15年
時は流れ、街の風景も人々の暮らしも大きく変わった。
だが、あの日の記憶は僕自分の心の中から決して消えることはない。
震災から年月が経った昨年、久し振りに三陸沿岸の被災地を訪れる機会を得た。
八戸市から沿岸を南下しながら、岩手県宮古市、釜石市、そして陸前高田市へ。
その1か月後には、業務の一環で宮城県石巻市にも足を運ぶことができた。
かつて住宅や商店が立ち並んでいた場所の多くは、防災公園や広い空地として整備されていた。整然とした景色だけを見れば、そこがかつて甚大な被害を受けた場所だとは想像しにくいかも知れない。

〇被災地を訪れて感じた「静かな重み」
その地に立つと不思議と感じるものがある。
そこにあったはずの人々の生活や営み、そして失われた多くの命。
「目には見えない重み」がそこにはあった。
石巻市南浜地区。震災の記憶を伝える復興祈念公園が整備されている。
そこでは、津波が川を遡上し被害を拡大させたことなど、当時の状況を知ることができる。
追悼の広場に立つと、自然と言葉が少なくなる。思いを胸に、静かに手を合わせるしかなかった。
〇着実に進む復興と、これからの課題
震災から15年、被災地の復興は着実に進んでいる。
嵩上げされた道路、壁のような防潮堤、新しい住宅地も作られた。
街並みは以前とは大きく変わり、新しい暮らしが始まっている。
しかし同時に、もう一つの課題も見えてくる。
それは、「震災の記憶をどう伝えていくのか」ということだ。
被災地では語り部の活動や震災伝承施設の整備が進んだが、記憶を未来へ繋ぐ努力は、被災地以外で生活する我々も継続しなければならない。
〇災害は「いつか」ではなく「また確実に」起きる
東日本大震災以降も、国内では多くの災害が起きている。
熊本地震、北海道胆振東部地震、そして能登半島地震。
昨年12月には、青森県内でも震度6強の地震を観測した。
地震だけではない。大雨、暴風、火山、豪雪など、さまざまな災害が脅威として人々に迫る。
そうした災害に脅かされるたびに、防災の重要性を改めて思い知らされる。
日本は、地震や豪雨、台風をはじめとする自然災害とともに生きる国だ。
また確実に起きるその時のために、あらかじめ備える必要がある。
いざその時には、自らの命を守り抜くことはもちろん、助け合い、支え合いながら困難を乗り越えることも重要だ。
過去の災害から学ぶことはたくさんある。
改めて被災地を訪れ、そこから学び、日常の中で防災を考え続けることは、僕自身が今できることであり、未来の被害を少しでも減らすことに繋げる契機になるのではないか。
そして、防災を「他人事」ではなく「自分事」として捉えること。
このことだけは何とかして、皆さんにも感じて欲しいところだ。
〇15年の節目に思うこと
危機管理に配属されて10年が経とうとしている。
災害対応そして防災対策には絶対的な正解がない。
10年で何かをやり遂げたと胸を張れるわけではないが、先人の言葉に耳を傾け、失敗を含めた先例に理解を深め、学び、教訓を得ながら、自らをアップデートし続けたいと思っている。
15年という時間は長いようで、決して長くはない。
残念ながらこれから先、当時の体験を直接語れる人は少しずつ減っていく。
だからこそ、当時を知る僕たち一人ひとりが記憶を繋ぐ役割を担っていかなければならない。
東日本大震災は、決して過去の出来事の一つではない。
未来の命を守るための教訓として、今も僕たちに問いかけ続けている。
3月11日という日を迎えるたびに思う。
あの日を忘れないこと。
その記憶から学び続けること。
これこそが、震災で失われた多くの命に対して、僕たちができる最も大切なことなんじゃないかな、と思っている。


