11月3日、4日の両日、弘前市で行われたフォーラムに参加してきました。
当初、基調講演を行う吉田類氏を一目でいいから見てみたい、というミーハーな思いしかなかったのですが、市民向けに提供されることとなった150名分の無料整理券を入手するのは物理的に困難だな、と思い、フォーラムそのものへの参加を決めました。
初日(3日)は、午前中に基調講演、午後が分科会とトークセッション、2日目(4日)は、6つのコースに分かれたエクスカーションという内容でした。
9時から始まった受付を済ませ、会場に入ると、大きな会場の半分以上が仕切られており、非常にこぢんまりとしていました。
何か、思った以上に人の少ないフォーラムだな…。
9時30分から開会式、10時からのオリエンテーションが終わると、後ろに置かれていた仕切りが外されました。
その後ろには、無料整理券を手にした市民の方々が…。なるほど、こういうことだったのね。
いよいよ基調講演の始まる10時30分となりました。事前にフォーラム参加者からの質疑応答で、「講演中の写真撮影は可能ですか?」という質問が出されていましたが、主催者側から、講演中の写真撮影は遠慮頂きたいこと、ただし、講演終了後に写真撮影の時間を設けることが発表されると、会場からは拍手が沸き起こりました。(ところがこれが後でとんでもない混乱を招くことに…。)
10時35分、吉田類氏登場。会場には歓声と拍手が響き渡ります。吉田類氏が何者なのかはここでは割愛しますが、僕が彼を知った頃、こんな拍手を浴びるような有名人ではなかったぞ…。
さて、講演内容の概要を箇条書きで。…あ、その前に。基調講演のテーマは「夜の街歩きの楽しみ方-酒場の呑(ノ)ミュニケーション論」だったのですが、ハッキリ言ってテーマとまるで違う方向の話題に進んでいきます。でも、それはそれで面白かったです。ちなみに青森県に入ってから4日目(!)だそうで、青森、八戸と回り(もちろん飲み歩きしていたらしいですが)、前日に弘前市郊外のりんご園で雨に祟られ、少々風邪気味とのこと、確かにちょっと辛そうな感じでした。
・吉田氏の出身は高知県。清流(仁淀川)の流れる綺麗なところだが、杉の人工植林を行い放置した結果、山が荒れてしまった。地元にはほとんど戻っていない。
・吉田氏と言えば酒の飲み歩きというイメージがあるが、実は山歩きが大好き。中部山脈から北海道まで、たくさんの山を歩きながら、イワナ釣りなどに興じていた。昔は登山家のような生活をしていた。山を下りると、酒、温泉、郷土料理がワンセットとなって待っていた。酒を飲んでいなければ、こんなにいろんな人たちと親しくなっていなかった。
・酒が入ってしまうと、人と敵対することはまずない。敵対関係になるような酒の飲み方は、その人の資質。
・酒が旨いところは、水がうまい。水がうまいということは、すぐ近くに山があるということ。山には、四季がある。青森は、その四季を持っている。
・酒は、コミュニケーションを取る手段の一つ。人間は孤立したら何の意味も持たなくなる。コミュニケーションの場を持つことが必要。
・大町桂月の名前を出しても、高知、北海道、青森の人しか反応しない。高知で生まれ北海道、そして青森に渡り歩き、八甲田の蔦温泉で一生を終えた。吉田氏自身も、大町桂月のような生き方をしているような気がする。
・ちなみに吉田氏、白神山地を山歩きしようと思ったが、北海道に先に渡った。そこでいろんなルーツを知ることに。
・自然を残すために人の手を入れないという考えは間違い。自然と人間が共存するためにはうまく付き合うことが必要。
・酒は健康のために飲んでいる(会場内、大きな笑い)。精神的な縛りを解いてくれるのが、酒。
・酒場は観光産業を支える一つ。街に酒場が充実していると、賑わいが創出される。
…といった感じです。この他、実は弘前市内の酒場を放浪したらしく、その模様はそのうち放映されるようです。(店の名前もおっしゃっていましたが、敢えて伏せておきましょう。)
そしてそして!!何と吉田氏、前日に僕の住んでいる町内を散策していたらしいのです!!ひょっとしたらこちらも放映されるかも知れません。楽しみにして待ちたいと思います。
基調講演終了後、写真撮影に応じた吉田氏。ところが、ここで吉田氏が降壇し、一般客との記念撮影に応じ始めたものだからもう大変。俺も私もと人が殺到し、収拾がつかない状況に陥ってしまいました。結局吉田氏が会場を後にすることでようやく混乱は収束しました。(ちなみに僕も近くまで寄りましたが、あまりの人の多さに辟易し、写真を数枚撮影して一目散に退散しました。)
フォーラム参加者はここから分科会に分かれます。第2分科会にエントリーしていた僕と妻は、バスに乗って市の中心部にある「津軽弘前屋台村かだれ横丁」に移動し、昼食を頂きました。(ちなみに昼食代も大会エントリー料の2,000円に含まれていました。)
ここから、弘前路地裏探偵団のエスコートにより、3つのグループに分かれて弘前市の中心市街地である土手町界隈をまちあるき。
参加者12名で構成された第1グループは、弘前路地裏探偵団のオダギリユタカさんの案内により、以下のルートを散策しました。実はこの他にも立ち寄っているところがあるのですが、敢えて省略します。だって、教えたくないんだもん(笑)。
かだれ横丁(弘前路地裏探偵団の皆さん)
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百石町展示館
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世界一小さいりんごグッズ博物館
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しまや手芸店
↓
(土淵川沿経由)
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蓬莱橋広場
↓
一戸時計店
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弘前中央食品市場
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BUNAKO
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どて箱
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久三郎
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まちなか情報センター
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弘前昇天教会
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中央弘前駅
↓
(新鍛冶町経由)
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かくみ小路
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川越黄金焼店
再びかだれ横丁に戻ってきた我々は、バスに乗車しホテルへ移動、トークセッションに出席。
(社)弘前観光コンベンションの坂本事務局長のコーディネートにより、長崎コンプラドールの桐野理事長、NPO法人北九州タウンツーリズムの大内田代表理事、函館市の小笠原観光振興課長、合同会社西谷「たびすけ」の西谷代表による事例発表が行われ、最後に「まちあるきを漢字一文字で表すと?」という問いかけに対し、桐野さんは「愛」、大内田さんは「交」、小笠原さんは「繋」、西谷さんは「人」という文字を掲げ、坂本事務局長が総括して「楽」しかったですね!と一文字掲げ、初日のフォーラムが終了しました。
二日目はあいにくの雨模様。遠い人では秋田県大館市と小坂町のまちあるきを体験、その他弘前市と近隣の5つのコースに分かれたエクスカーションが行われました。
僕は弘前市内特別コースということで、りんご公園と津軽藩ねぷた村を回り、午後12時過ぎに全ての日程が終了しました。
りんご公園にて。
津軽藩ねぷた村にて。
さて、「漢字一文字で。」という問いかけの時に、僕は漢字ではなくひらがな一文字が浮かんでいました。
それは、「と」。
将棋の駒、歩兵の裏には「と」と書かれていることは皆さんご存じでしょう。歩兵は、1駒ずつ進んで敵の陣地に入ると、ひっくり返って「と金」になります。
昨日は多くのボランティアの方やガイドさんが参加されていましたが、まちあるきのボランティアの方もガイドさんも、「歩兵」になることを目指せばいいのではないかと思いました。
考えようによっては、歩兵というのは、常に裏に「金=お宝」を隠し持っているわけです。歩いて歩いて歩いて、やがてその人しか知らない「と金=お宝」を手に入れる。そして、人「と」人を結びつけ、人「と」地域を結びつける…。
僕はボランティアでもガイドでもありませんが、僕しか知らない「と」を持ちたい…昨日まちあるきを実践してみて、あまりにも自分が住んでいた街を知らなかったことに愕然としながら、そんなことを思った次第です。
ここ最近は車ばかりで街を素通りしていたような気がするので、たまに自分の足で、いろんなところを散策してみたいと思います。
関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
最後になりますが、今回掲載した画像を含めたフォトセットを作成しました。もしよろしければご覧下さい。
Monthly Archives: 11月 2012
点と点、線と線、そして…
10年ほど前、NPOや市民団体と行政との協働に関するセミナーに出席したことがある。
その時の出来事が、僕をセミナーの類から遠ざける一因になったのだが、先月27日に弘前市で行われたオフサイトミーティングの勉強会に出席したとき、ふとそのことを思い出していた。
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…当時僕は県からの出向扱いで、弘前大学大学院人文社会科学研究科に在籍していた。当時の指導教官からの勧めもあって、そのセミナーに参加したのだが、これがまた自分にとって全く身にならなかったのだ。
最初からワークグループ形式で行われたこのセミナー、多種多様の人たちが40名ほど集まっていたのだろうか、男女比率で行くと女性の割合が圧倒的に多く、その中でも僕はちょっと浮いていたような気がする。
さて、ワークショップで何を語り合うかというと、「行政への市民参加のあり方」という漠然とした内容だった。
8名が車座になったテーブル。男性は僕だけで、周りは全て女性(それも皆さん母親みたいな年齢の方ばかり)だった。
「一番若い人から」ということで、僕が自己紹介することになった。弘大大学院に在籍しているが、実は県職員であること、協働や住民参加に興味を持っていることなどを話した。その後も、次から次へと順番に自己紹介が進む。小さな市民団体の代表者が多く、福祉関係や生活弱者支援をメインに活動している方が多かったように記憶している。
…と、ある方へ順番が回ったときのこと。
眼光鋭く、まるで僕を牽制するような目線を送りながら言い放った第一声に、僕は耳を疑った。
「私、公務員とか役所の人間が大嫌いなんです!」
静まりかえるテーブル。いや、正確には僕だけが萎縮しているだけだったのだが、なぜそんなことを突然言い出すのか、僕には理解できなかった。
僕に対するいきなりの拒絶反応。しかし、どうもその人は市内でもそれなりの活動をしているらしく、他の方々がみんな気を遣っているのがあからさま。
コーディネーターから振られて発言するも、それをやんわりと制し、そして僕の発言を否定するその方に辟易し、僕はその後一切の発言をやめた。
結局、好き勝手自分たちの活動内容を散々放言した挙げ句、まとまるものもまとまらず、「行政との良好な関係を保ちながら、もっと市民が参画できる機会を創出する」などと、机上の空論みたいな結論を出してセミナーは終了してしまった。
終わってから思ったことは、結局ここに集まった人たちは、何かを生み出すということを目的にして集まったのではなく、自己主張をしたかっただけなのだろう、ということだった。
市役所の職員も数名姿を見せていたが、端から見ているとその方々にもっと活動の機会を与えろ、といった主旨の要望や苦情ばかり。この調子では、協働なんて絵に描いた餅。
正直、ちっとも身にならないセミナーだったと思ったが、大学の教官から参加を勧められたという、言わば自発的ではなく他人からの後押しということも伏線としてあったのかも知れない。
それ以来、セミナーの類は「自己主張と空論ばかり」という既成概念が生まれ、まるで参加する気がなくなってしまった。
もう一つ。一昨年前の4月に行われたセミナー。
これは、僕が宮古市へ震災復興の支援(といっても僅か4日間、拠点における物資の搬入搬出だけだったけれど)に向かう直前に参加したものだ。こちらは自発的に参加したいと思い、馳せ参じたのだけれど…。
このセミナーの分科会においては、進行役と聴講者が殴り合い寸前の丁々発止のやりとりをするという場に遭遇。
基調講演が長引いた影響で時間が押していたため、進行役が発表者に対して少し短めに説明するよう求めたところ、それが良くないと怒り始めた聴講者は、その発表者の上司だった。
結局予定時間を超えて終了した分科会、終わった途端に進行役とその聴講者がお互い今にも殴りかからん勢いで対峙。
内容が震災復興にかかる発表だっただけに、実に後味の悪いセミナーとなった。
そういう意味では、「良質のセミナー」に参加する機会に恵まれず、僕にとってセミナーの類は苦手なものの一つになっていたのかも知れない。
もっとも、身の丈に合わないセミナーに参加した、ということもあっただろう。特に最初のセミナーにおいては、知識も見聞も持ち合わせぬまま、興味本位だけで出席したのも事実だ(その興味本位を次の行動に繋げなければならないのに)。セミナーに参加したというアリバイ作り。自己満足。何と言われようと反論のしようはない。だが、セミナーの参加者が好き勝手に理想論ばかりを振りかざすようでは、セミナーそのものが形骸化しているといっても過言ではないだろう。
こうなると、自分にとっても身にならないし、周囲にとっても迷惑な話だ。
先月27日の勉強会。
実は自分の身の丈に合ったものだったのか、僕みたいな輩がいてもいい場所だったのかはわからない。
ただ、あの勉強会は、これまで参加したセミナーとは異なり、間違いなく自分なりの意見、見解を述べることができたし、他の方々の意見も吸収することができた。そして、間違いなく自分の身になった、気づきに繋がったと確信している(だから自分なりに内容を整理して、翌日にはブログ記事として投稿できたんだと思う)。
何より、色んな地域でそれぞれの立場で活躍されている方々を見て、刺激になったことだけは間違いない。
だから、今回新たに生まれたご縁やいろんな繋がり…点と点が結びついた線を、新たな面(ステージ)にしていきたいと思っている。