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2017年の目標を検証してみる。

12月20日に、学生を対象とした青森県職員就職セミナーが開催されることになりました。各部局の担当者がそれぞれの業務概要を説明し、若手職員が自分の経験談を語るといった場が設けられるとのこと。参加者をどれぐらい見込んでいるのか不明なところもあるのですが、昨年同様の説明会を開催した際、うちのブースにやってきたのは僅か6名だったそうです。他方、総務や企画、観光の部局に参加希望者の人気が集まっているのだとか。

これに関しては主催する側にも参加する側にも言いたいことが多々ありますが、今日はやめておきます。
タイミング悪く、以前から決まっていたうちの職場対象の研修と日程が思い切りぶつかってしまったため、当日は、業務概要の説明と「若手職員」による経験談という2人分の役割を、僕一人が担わなければならなくなってしまいました。困った挙げ句、Googleに頼ってみると…


使えない。これはダメだ。この、役立たずがっ!

あー…何やっているんでしょ、自分。

やるからにはしっかりやらなければならないと思うし、一人でも多くの「学生」に興味を持って頂けるよう、何とか、自分なりに頑張ってみようと思います。

しかし、自分の経験談といわれても、別にこれまで何か変わったことをしたわけでもなければ、大した実績を持っているわけでもなく、一体何を話せば良いのだろう、ということを悶々と考えていたら、小さな壁にぶつかっていました。

小さくとも強固なその壁の一角を崩すため、これまで自分が経験してきた仕事の内容とか私事のこととか色んな「振り返り」をしているうちに改めて思ったことが、他人に語れるような夢とか理想って、僕自身持っていなかったな、ということでした。

10月の記事(「夢」と「目標」と「現実」と)参照。

決して欲がなかったワケではないのですよ。でも、自らの「欲」を封印し、自らに「我慢」を強いてきたのは事実かも知れません。色んな欲に溺れるあまり、生きていく上で大切なもの(それはお金では買えないもの、例えば、信頼とか)を失っていった人も見たことがあるし、そういう人になりたくないな、と朧気ながら思いつつ、今までのほほんと生きてきたわけで、何となく勢いに任せて今の仕事に就いて、周囲の流れに身を委ねるままに生きてきた、といった感じなのです。

いや、もちろんただ流されるわけじゃなく、それなりに自負(というよりも自尊心かな)は持ち合わせていたつもりでしたが、色々自分の生き様を振り返っているうちに、誰にも負けないような「欲」や手の届かないような「理想論」をずーっと封印していることに気がついた次第。自分、こんなに醒めた現実主義者だったのか、と今更ながらに驚愕しておりまして。

ところでこのブログでは、新年の挨拶とともに今年の目標みたいなものを掲げております。目標達成の積み重ねがその先にある夢の実現に繋がる、とは言ってみたものの、今年初めに掲げた目標が、現実主義どころか何ともハッキリしないというか、具体性に乏しいという。

今年の幕引きまではまだ半月以上ありますが、ちょっとその内容を見ながら検証、いわゆる「振り返り」をしてみたいと思います。

(1)今年はもっと周囲に目を向けます。 →△

アンテナをもう少し拡げよう、という趣旨だったのですが、人事異動で配置換えがあったことも影響して、4月以降は自分のことだけで精一杯になっていたような気がします。そんな中でも、久し振りに東北OM勉強会に参加してみたり、2年ぶりにペースランナーを務めてみたり、自分の見聞や経験値を高めるという意味では、ちょっとだけアンテナを拡げることはできたのかな、と思ったところではありますが。

(2)静から動、青から銅、生から道 →△

これ、(1)にも関連しますが、40代も折り返しを過ぎたということで、これからの人生、いわゆる余生というものに対して少しずつ気が向き始めています。ただ黙っているだけではなく行動に移すということを念頭に置いた目標ではありましたが、そんなに積極的ではなかったような気がしますし、特に今年の終盤は、見えない(これまでやったことのない)業務にビビってしまい、かなり守勢に回ってしまったような感じ。もう少し攻めても良かったかなあ、と。

ちなみに今年はフルマラソン4本でしたが、10月のアップルマラソンで終えてしまったことは、個人的にとても不本意だったと思っています。11月~12月でもう1本走れたよな。

(3)肩書きを捨てます。 →×

前述の通り4月の人事異動での配置換えにより、また余計な肩書きを一つ加えることとなってしまいました。しかし、肩書きよりも覚えてもらうべきは自分の名前と顔とばかりに足掻くつもりでしたが、結局仕事用の名刺から肩書き(役職)を外すことはできませんでした。ちなみに、所属課の名称、グループの名称、しかも役職まで全部述べていたら、口が疲れそうです。

(4)運動はほどほどに、健康には万全を。 →○

一義的には、家族に迷惑を掛けないことを前提にしたものでしたが、結果として一度だけ、家族ではなく職場に迷惑を掛けることとなりました。でも、言い訳がましくて恐縮ですが、明日何が起こるかなんて誰にもわからないわけで、逆に何が起こるかわからないからと、行動に起こせないことほど不本意なことはないのかな、と都合の良いように解釈しています。

今年の健康診断では大きな異常が見られることもなく(私事旅行から戻ってすぐの健康診断だったため、γ-GTPだけ引っ掛かった)、ケガや病気で病院通いすることもなく一年を終えられるのは何より。残り約2週間も、気を抜かずに過ごさないと。
しかし、こんな当たり障りのなさそうな抽象的な目標なら、いかようにでも逃げ口上を述べられますが、まさかこの年齢になって自分の夢とか目的とかを改めて考えることになるとは思ってもいませんでした。

でも皆さん、大人になるにつれて、「夢」って何だか萎んでいるような気がしませんか。多分年齢を重ねることがそうさせているのかな、とも思うのですが、知らないうちに自分の夢が他人(というか子供であったり家族であったり)の夢に置き換わっていることって、ありませんか。

テレビなどを観ていても、おじいちゃんおばあちゃんに夢を聞くと「この世が平和であること」とか「家族が健康であること」とかそんな感じじゃないですか。夢を聞かれたおじいちゃんおばあちゃんが「億万長者になること」とか「他人を踏み倒しても豊かな生活を送ること」なんて露骨なことはあまり言わないじゃないですか。
大した夢も希望も持たないお前が何を言うか、と怒られそうですが、今年は密かに掲げていた幾つかの目標(もちろん走ることがメインの目標)を達成することができたので、来年ももう少し悪足掻きしよう、と企んでいる次第。

実は20日のセミナーで語る学生向けの経験談の締めで、参加者の皆さんへエールを送るつもりなのですが、結局これって自分自身に対する「喝入れ」なんだなということに気づき、かなり自嘲気味になりつつも狼狽えているところです。

「目標を一つ一つ達成することで、夢に近づいていく。諦めない気持ちは、いつまでも持ち続けよう。」

ということで2018年~2019年は、もう少しまともな目標を立ててみようかと思っています。

それはともかく、当初12月8日(金)を申込締切としていたJOBセミナーは、まだ定員まで余裕があるとのこと。一体何人の学生さんがやってくるのでしょうか。こちらの心配が杞憂に終わりそうなイヤな予感。

裸の王様の耳はロバの耳

色々思うところがありまして、元々二つある有名な童話を何となく脚色してまとめてみました。
何でこんなことをしたのかは自分でもよくわかりませんが、ここ最近の飲み会で色々話題になったことが、まさにこんなことなのだろうな、と思ったことに端を発しています。
でも、自分自身はどうだろう、なんてことをふと考えてしまったわけで。まあ、僕は王様気取りではない、つもりなんですけれどね…。

実はロバの耳を持つ王様の元に、見知らぬ初老の仕立屋が現れ、薄汚れた両手を空に掲げて「これは、馬鹿には見えない布です」と王様に見せた。

それを聞いた王様は、何も見えない自分が馬鹿だと思われたくないだけのために「おお、素晴らしい布だ!」と、何も持っていないはずの仕立て屋の手に対して、賞賛を送る。

その場に居合わせた他の召使達も「え?マジ?もしかして見えていないのってオレだけ?」と思い、馬鹿だと思われたくないために次々と称賛の声を浴びせた。

してやったりの仕立屋は街へ向かい、あらかじめ結託していた他の仕立て屋から織り機を借り、まるで立派な服を仕立て上げたふりをして、実際は何もないはずなのに、「王様にお似合いの素晴らしい衣装が出来上がった!」と王様のもとを再び訪れる。

仕立て屋が誇らしげに掲げる(ふりをする)服も何も見えない召使たちは、戸惑いながらもそれを「美しい」「素敵だ」「絶対に似合う」と称賛、周囲がそこまで言うのであれば、王様も「自分の目には全く見えないが、さぞかし素晴らしい服なのだろう」と信じ込み、あり得ないぐらいの大金を叩いて買い取った。
更に仕立て屋は、「これは特別にサービスです」と、ありもしない帽子を掲げ、王様の頭に被せる。そして、普段ターバンで隠しているロバの耳を露わにすると、周囲の召使は震撼しながら「じ、実にお、お似合いです!」と声を震わせた。
仕立て屋は、その大金を手に再び街へ戻り、仲間である他の仕立て屋、そして情報源の床屋に分配金を渡すと、国から消え去った。

一方、王様は、実際には触れた感触もないその服を着て、普段は耳を隠すためのターバンを外して帽子を被り、城を降りて街を歩いた。
「馬鹿には見えない服」の存在は下々の人間にも噂として伝わっており、自分が馬鹿だと思われたくないために、裸の王様を次々と称賛しながらも、ロバの耳を見て狼狽していた。すっかり気を良くした王様は、全裸のまま胸を張って歩き、床屋へと歩を進めた。
王様の耳がロバの耳だということを既に知っていた床屋。
仕立て屋の罠によりその耳が露わになっても全く意にも解さぬ王様の耳元で囁く。
「これまでに見たことのないぐらい、お似合いの洋服です。お帽子も。」
「うむ。みんながそう褒め称えてくれる。だがしかし、前にも話した通り、耳のことは決して誰にも話してはならない。もしも誰かに話したら、お前を処する。」
「かしこまりました。」
何事もなかったかのように散髪を進める床屋。
すっかり気分が良くなった王様は、賞賛の声を送る国民の税金を下げることや、恩赦までもぼんやりと考え始めていた。

散髪を終え、誰にも見えない帽子を被り、床屋に尋ねる。
「どうだ。似合っておるか。」
「はい、もちろんでございます。」
「馬鹿には見えない衣服」を身に纏う王様は下着もつけておらず、完全な全裸状態。
一般の国民がこのようなことをしたら、間違いなく公然わいせつ罪で現行犯逮捕されるレベルである。

床屋を後にし、街を闊歩する王様。そんな事とはつゆ知らぬ子供たちが、王様を見てゲラゲラ笑う。

「あっ!王様が裸で歩いているぞ!」
「ホントだ!裸の王様だ!」
「あれっ!王様の耳はロバの耳だ!」
「おやっ!王様の○○はたけのこの里みたいだ!」

その言葉を聞いた下々の人たちも徐々に、王様が全裸で街を歩いていると言い始め、「裸王」「ロバ王」「疎チン王」と嘲笑し始めた。
王様は顔と耳を赤くして、股間を更に縮めたまま、現行犯逮捕される前に城に走って逃げ込んだ。

恥ずかしさのあまり王様は自ら王の座を退くことを表明しようとしたが、国外にもこの情報が知れ渡ることとなり、恥をかかされたのはこちらだとばかりにクーデターを企てた反国王派の群衆らによって失脚させられた。更に、この一件が発端で他国軍からの攻撃を受けるも、既に気持ちがバラバラになった国民軍の足並みは全く揃わず、「ロバの耳を持つ裸の王」として知られることとなった王様は囚われの身となり、国も崩壊の途を辿った。
…だが、実は国内には、わずか4人だけ王様が身につけているという服が見えた人物がいたことだけ付け加えておこう。

【この話の教訓】
・詐欺はいつの時代にもある。
・周囲の人に流されるな。
・甘い話には罠がある。
・くだらない見栄を張るな。
・小さくまっすぐな意見も大事にしろ。
・周囲の言うことなんてアテにならない。
・自分が全て正しいと思い込むな。
・どこから流れついてきたかわからないよそ者には注意しろ。
・世の中金が全てではない。
・「王様」のくせに「裸」。実力や権力をちらつかせる者に対しての批判。
・「王様」だけど「裸」。実力や権力はないけれど、実は目に見えない力を持っている者に対しての称賛。
・嘘も時には大事。
・嘘が綻びを生む。
・信じる者が救われる、とは限らない。
・一度崩れた信頼関係は、簡単に取り戻せない。

行間を読む、背景をイメージする、どうぞ色々想像を膨らませて下さい。

弘前市新鍛冶町「川崎」 #酒場 #居酒屋

小学生の頃、父や父の友人たちが僕のことを「のりべえ」と呼んでいたのが派生して、「のんべ」というあだ名がつけられました。小学校2~3年の頃だったと思います。それから40年近く経った今もなお、ずっとその「あだ名」で呼ばれ続けております。

高校3年に進級した際、クラスを受け持つこととなった担任は、僕が周囲から「のんべ」と呼ばれている姿を見て、「こいつ、高校生の分際で相当酒を飲むんだな」と本気で信じ込んだらしく、社会人になってからその話を教えてくれました。まあ、これはこれで面白いエピソードではありますし、今もその恩師とは時々酒を酌み交わすようなステキな関係にあるのですが。

学生時代、夜が明けるまで友達と飲み明かしたこと、数度。麻雀のルールも知らないので、ただひたすら飲み続け、話し続けるといった感じでした。

でもその代償は大きく、翌日は夕方まで完全に廃人と化していましたけどね…
三十代も半ばに差し掛かった頃、人間ドックでアルコールに起因した異常が一気に現れました。γ-GTPに中性脂肪、尿酸、善玉悪玉コレステロール、挙げ句の果ては、脂肪肝疑いなどなど…。アルコールに関係するありとあらゆる数値が正常値を超え、かかりつけのお医者さんに相談したところ、「あなたは自分が思っているほどお酒に強くないということを自覚した方がいい」といった趣旨のことをやんわりと言われました。ランニングに目覚めたのはその直後のことでしたが、ランニングに没頭する代わり、前年度異常を示した数値は全て正常値に収まり、今も概ね順調な数値を叩き出すようになりました。

とはいえその頃から今に至るまでなお酒に強くなるということはなく、むしろ加齢とともに弱くなってきているな、ということを実感するようになってきました。いわゆる「午前様」になるまで呑むことがなくなりましたからね。

また、以前はビールばかり呑んでいましたが、最近は結構早い段階で口直し(いわゆるチューハイなど、氷で溶かして薄くなるお酒)に手を出すようになりました。
あまり「休肝日」を設けないのもまずいな、と考えつつも、なかなか設定できないのは、意志が弱いということに尽きるのでしょうね。年が明けたら、ちゃんと考えようと思います。(今からじゃなくて年が明けたら、という時点で既に意思の弱さを露呈しているわけですが。苦笑)

ちなみに今月は、外での飲み会が既に6回も予定されているといった状況。
身も心も財布の紐もしっかり締めないと。

そして今月2回目となる飲み会は、元同僚とのサシ飲み。
弘前市新鍛冶町にある「川崎」にお邪魔しました。

僕が学生時代にアルバイトをしていた総合宴会場では、社員とアルバイトが一堂に会して飲み会を行うということが何度かあったのですが、いつも二次会の場所となっていたのがこの「川崎」でした。元々「川崎」の大将は僕がアルバイトをしていたところに調理師として勤務しており、その後独立して今の店を構えました。僕がバイトを始めた頃には既に独立していたので、直接接する機会はありませんでした。大将のお名前が「川崎さん」だということ以外はよくわからないのですが、開業してから30年ぐらい経つのかな?(この種明かしは後ほど。)

ちなみにこのお店に足を運んだことはこれまで数度しかなく、しかもその半数は、既に酩酊状態で記憶が朧気となっている中での訪問だったため、店の雰囲気こそ頭に入っているものの、どういった料理が提供されていたかなどについては、情けないことにほとんど覚えていないのであります。

ということで今回は、その確認の意味も込めての来店となりました。
ちなみにこのお店、弘前市出身の俳優・新井浩文がBSフジでナビゲーターを務める「美しき酒呑みたち」(吉田類の出演するそれに似ている番組)で訪問し、紹介したことでもちょっと知られております。

最近よく見かける、個室で仕切られたような、いわゆる小綺麗で洒落た居酒屋ではなく、古き良き「大衆酒場」といった感じでしょうか。まさに吉田類が好んで訪れそうな雰囲気のある「飲み屋」。最近弘前市内では、こういったところが減ってきた気がします。
暖簾をくぐり、中に入ると目に飛び込んでくるのが、長いカウンター席。軽く10人は座れます。
その中で切り盛りしている大将と女将。

座敷席に通されると、既に5名ほどの先客がいましたが、どうやら常連さんではなさそうです。
お客さんの人数が増えると仕切りが外され、倍ぐらいの大きさとなり、立派な座敷になると記憶しています。…いや、確かそこで二次会をやっていたはずなので。
常時置かれているメニュー、肉、魚、卵料理はもちろん、焼き物に揚げ物、鍋、郷土料理、食事メニュー等、何でもありです。

ホワイトボードに板書されたメニューもありますが、こちらには価格の記載がありません。

お通しは子和え。値段は不明。

生ビールはアサヒのジョッキそのものが凍っているので、キンキンに冷えています。
この日、何品注文したのかは忘れましたが、とにかく二人で呑むわ食うわ。

このお店で外しちゃならないと言われているのが「枝豆漬け」なのですが、私、漬け物が苦手でございまして、残念ながら注文しておりません、ハイ…。
サモダシの南蛮漬け。唐辛子がアクセントで利いています。ビールが進むわ。

サッと湯通しされた鱈の白子、いわゆる「タツ刺」。トロッとして美味しかったなあ…。

鯛のコブ〆は、大将自らが捌いた鯛を昆布に寝かせたもの。ぶ厚いホタテの身はぷりぷりでした。

知らず知らずのうちに、鯛の切り身に1本だけ付いたままの棘を、口の中で分別するというテクニックを体得していました。
そして今日のクリーンヒットはこちら!
恐らく口にしたのは20年ぶりぐらいでしょうか。
「八つ目の串焼き」

 

本物のウナギとは全く種類を異にする、グロテスクな川魚「ヤツメウナギ」を串に刺して、焼き鳥のたれで焼いたものです。ちなみにタレ・塩いずれかを選ぶことができます。てっきり身も皮も固いんだろうな、と思ったらその割でもなく、山椒が利いていて、これがまた旨かった!

二人で何杯呑んだだろう、というぐらい次から次へとビールを煽り、美味しい肴で話も弾む、ってものです。
こちらは「なっとうおむれつ」。

なぜかメニューの標記はひらがなですが、なんてことはない「納豆オムレツ」で、最初から味がついており、納豆好きにはたまりません。

この他にもあれやこれやと注文し、次から次へと口に運びます。

女将に聞いてみました。
「お店の営業を始めてからどれぐらい経つんですか?」
「えーっと、どれぐらいかなあ。先代が営業を始めてからだと、60年ぐらいかなぁ。」
「えっ!そんなに長い期間営業しているんですか?」
「うん、今の代になってから30年ぐらい経つからねぇ…。」

実は凄く歴史のある大衆酒場だったんですね。建物の構えは僕が知っている頃から変わっていないので、それなりに古いという認識はありましたが、半世紀を超えているとはビックリしました。以前、「津軽百年食堂」がちょっとした話題になりましたが、ここは「津軽五十年酒場」ですね。50年以上続く酒場って、どれぐらいあるのかなあ。

大分良い感じで酔っ払ったので、そろそろお会計しましょうか。
「すいません、お会計をお願いします。」
「はーい。ありがとうございます。」
程なく女将がピンクの紙切れ一枚を持ってきました。

いいですね、レシートもないこのザックリした「明朗会計システム」(笑)。個人的には嫌いじゃないです。でも、2人で1万越えは飲み過ぎ食べ過ぎはしゃぎ過ぎです。

会計を済ませ、大将と女将に礼を伝えつつ、「実は…」とおもむろに切り出します。
以前、大将が勤務していたところで僕もアルバイトをしていたこと、大将とは入れ替わりで一緒に仕事をしたことはないけれど、あの人とかあの人とか、共通の知り合いがたくさんいること、そして、その中の何人かが鬼籍に入られたこと…。

驚きながらも懐かしそうに目を細める大将と女将の顔を見ながら、今日はこの店をチョイスしてよかったな、と思ったのでした。
また来たいと思います。ご馳走様でした。

川崎

ジャンル:居酒屋
アクセス:弘南鉄道大鰐線中央弘前駅 徒歩3分
住所:〒036-8193 青森県弘前市大字新鍛冶町22(地図
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 弘前×居酒屋

情報掲載日:2017年12月7日

料理のお話 #インスタ映え

今年の流行語大賞が発表され、「インスタ映え」と「忖度」が選ばれた、とのこと。
「忖度」は今年の政治を端的に表現するとするならば、まさに代表的な言葉となりそうですが、個人的にはドンタコスの方が好き。
「インスタ映え」は、Instagramを利用していない人が「インスタ映え」という表現を使っていることに違和感を覚えるし(いや、みんな利用しているのかな?)、要するに「見栄えいい」ってことですよね。カタカナ使わなくとも、シンプルに「見栄え」でいいじゃん。
…さて、今日はその「インスタ映え」のするような料理のお話。

小学4年の時に、「お前はもう少し逞しくならないと」と言われたのかどうか忘れましたが、伯父と従兄の紹介でボーイスカウトの下部組織であるカブスカウトに入隊。それから高校1年の途中まで、ボーイスカウトの活動に従事しました。
「これで引退」と腹を決めて参加した第9回日本ジャンボリーは、宮城県白石市(裏蔵王)での開催。ところが台風の直撃を受け、テントの中は水浸し、しかもテントを張った場所が水のたまりやすい平場だったということで避難を余儀なくされ、未明に自衛隊のトラックで白石市内に運搬されるという貴重な経験もしました。

それはともかく、ボーイスカウトといえばキャンプが付き物で、一時期は毎月のように弘前市の郊外へ1泊2日のキャンプに出掛けていました。当然ご飯は自炊ということで、飯盒を持参して米を炊き、現地調達はしませんでしたが、持参した野菜やら何やらで料理をこしらえて暗闇の中ヘッドライトと薪の火だけで夕食を摂る、なんてことを何度もやっていました。
メニューは大体決まっていて、カレーか豚汁か焼きそばか。まあ、要するに人参と玉ねぎと肉、これに時々じゃがいもがあればなんとかなる料理ですね。

ちなみに一番酷かった料理は、玉ねぎの芯の部分をくり抜き、殻を割った卵を流し込み、アルミにくるんだ後火にくべて放置する、というもの。「ゆで卵みたいになる」という触れ込みだったのに、1時間放置した後アルミを剥がしてみると、卵も玉ねぎも生焼けで、辛過ぎて食えなかった、という思い出があります。

その一方で、料理に対する興味が芽生えたのは、この頃から。
中学生の頃は台所に立つことに全く抵抗がなくなり、高校の頃になると、21時過ぎに突如客人を連れてきた父親から、試験前日にもかかわらず酒のつまみを作ってくれとオーダーされる、なんてこともありました。

飽くなき追求はその後も続き、学生時代は学食ではなく家に戻って自ら調理、昼食を取る、なんてことも。まあ、あの頃は遊ぶ金を少しでも捻出したくて学食で小銭を払うことを惜しんでいただけのような気がしますが。

23歳の時に職場の引っ越しとともに青森市内で一人暮らしをはじめ、その後八戸市へ異動、2年間を過ごした時も、学生時代と変わらず昼休みは部屋に戻って食事を摂ることを続けていました。八戸市で生活していた時は、自分で好きなものを好きなだけ食べられるということもあり、一気に体重が4キロぐらい太ったんじゃなかったかな。

ちなみに、バレンタインのお返しで自らクッキーを焼いたこともありますし、一度だけ職場の女性陣にアップルパイを持参したこともあります。(パイ生地が冷凍で邪道、と言われたことがショックで、その一度きりでしたが。)
僕の焼いたプリンを食べたい、と高校の同級生(女子)が自宅にやってきたこともありました。

一時期釣りに没頭していた頃、釣ってきた魚(ソイ、アブラメ、真タイなど)は基本的に全部自分で捌き、刺身やあら汁などの料理にしていました。

今も土日祝日は台所に立つ機会が多く、自分で作った料理を「まかない飯」ならぬ「マカナエのメシ」と勝手に呼んでいます。
僕が作る料理にはレシピがなく、冷蔵庫に眠っている賞味期限の近い(時々切れた)食材を使っておもむろに料理を始めることが多いため、ほとんどが一度きりの料理。時々COOKP○Dを覗くこともありますが、参考にする程度で、掲載されているレシピ通りに作ることはまずありません。だって、そのレシピが自分の口に合うかどうかはわからないし、調味料の分量だって、その人の舌や感じ方で違うと思うんですね。
例えば疲れているときは少し甘めの物を口にしたいと思う一方、ランニングのあとは塩分を欲したりと、体調によっても味覚が違うと思うので、料理本やネット上の「レシピ」が絶対ではない、という持論です。

じゃあ、どんな料理を作っているんだ?と思われる方もいるかも知れません。
ではまずこちらから。

毎年大晦日に作成するオードブル。これを全て僕一人で作っているわけではないので正式には「マカナエのメシ」ではないのですが、盛り付けは僕は行います。妹宅や親戚宅へのお歳暮、お年賀みたいなものとして、これを5台制作します。(注文は一切受け付けていませんので悪しからず。笑)

あと、お盆の時期には「法界折」を作る、というのは以前このブログでも紹介しましたね。


記事はこちらから。
今年の法界折 -ご先祖様への供えもの-
「法界折」のこと

一人こっそり食べるために作ることもしばしばありまして、今日はその中から一つ紹介したいと思います。レシピないって言ってるのにね。でも、簡単よ。
つい最近作った、まさに「インスタ映え」狙いの料理です。

インスタントの袋ラーメンで作る、「酸辣湯麵」

用意するもの
・インスタントの袋ラーメン(塩)
・豚肉 (種類問わず)
・人参 小指と同じぐらいの大きさのボリューム
・しいたけ 1個
・豆腐(絹がよい) 1/4丁
・ねぎ 人差し指ぐらいの長さで一本
・きくらげ(あれば) 1個か2個
・たけのこの水煮(あれば) ちょっとだけ
・卵 1個
・塩コショウ
・片栗粉
・酢
・ラー油
・隠し味…は最後で。

分量は参考にとどめてください。好き嫌いもあると思うので、量の加減はご自由に。

(1)豚肉は細かくなり過ぎない程度に食べやすい大きさに切って塩コショウをさっとまぶし、少し揉む。更に片栗粉をまぶし、バラバラになる程度に(肉の塊にしないこと。)
人参は千切りでもいいし、短冊切りでもいいし、ゴロッとしない程度に切る。
シイタケも同じぐらいの大きさで。ネギはできれば白髪ねぎが理想だけれど、小口でもOK。豆腐は、適当に切ってください。どうせバラバラになるから。きくらげは水で戻してシイタケと同じぐらいの大きさに。戻すのに時間がかかるので、なくてもよい。たけのこはお好みで。
(2)鍋に湯を沸かす。袋に書かれた分量+50ml。肉とニンジンは先茹で。たけのこ、きくらげ、シイタケはあとで投入。全体に火が通ったなあ、と思ったら、袋ラーメンのスープを投入。豆腐を投入し、水溶き片栗粉を入れて、軽くとろみがつく程度に火を通す。火の通りが弱いと餡がすぐ戻るので注意。最後に、溶き卵にほんの少し水をくわえたものをスープに流し込み、軽く混ぜて火を止める。酢をお好みで入れて味を調整。これでスープ完成。
(3)(2)を作っている間、別鍋で麺を茹でる。袋に書かれている時間通り。
(4)丼に、湯切りした(3)の麺を入れる。直後に、(2)のスープをドバっと投入。(これ、大事)
(5)上にネギを乗せ、ラー油をお好みの量だけ投入し、完成。

ワタクシのレシピなんぞ、こんなものです。かなり適当でしょ?
ちなみに隠し味は何か、ということなのですが、これです。

スタミナ源たれの「塩」。(2)の湯が沸いたときに、肉を入れる前にこれをほんのちょっとだけ入れました。