2011年4月の伏線回収と答え合わせの旅 ~2026年5月・岩手県大槌町へ(前篇)

弘前市で生まれ育った者としてこれまで、大型連休は県内外からやってくる客人を迎え、もてなす側の立場だった。

2000年代に入ってから顕著となった気象変動により、日本国内の桜の開花時期は急速度で早まり、かつては大型連休がソメイヨシノの見頃のピークを迎えていた弘前公園も、その開花が早まっていった結果、大型連休は、ソメイヨシノの散り際か葉桜の時期となりつつある。

結果、大型連休期間中にうちへやって来る客人も減り、逆にこちらから県外へ足を運んでみたいと思い始めたのが、豪雪のピークを過ぎた2月下旬。

とはいえ人ごみは嫌だし渋滞にも巻き込まれたくない。それなら近場でも構わないと思い、再び三陸海岸を訪れてみることにした。

しかし2月下旬では動き出しが遅過ぎたのだろう。既に多くの宿は予約で埋まっており、ようやく見つけたのが大槌町にある民宿。善は急げと5月4日からの1泊2日で予約を入れた。

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遡ること15年前の2011年4月18日。被災地支援(2次物資拠点での支援物資の仕分け等)のため宮古市に派遣されていた青森県からの支援チーム数名は、午後からの業務が手薄になったこともあり、市職員に勧められるまま宮古市から公用車で大槌町へ向かっていた。

大槌町までの国道45号は、ほぼ沿線全てで土埃が舞い上がっていた。今になって思い返せば、あれは土埃ではなく海から上がってきた砂や泥が乾いたものだったのだろう。

途中で車を路側帯に停め、数枚の写真を撮影、更に少し先へ進み、ホテルと思われる建物に突き刺さった車両を撮影した。

その先では、難を逃れたエリアと津波によって破壊されたエリアの境目に言葉を失い、ほどなく大槌町中心部へ到達。機能を根こそぎ失われ、誰もいない役場を目の当たりにし、結局その場では何もできない無力さに打ちひしがれたまま宮古市へ戻った…。

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意識しているつもりはなかったが、昨年後半から三陸海岸に足を運ぶ頻度が急に増えた。そんな中で見つけた大槌町の民宿に今回宿泊することができるのも、何かの御縁か引き寄せなのだろうと勝手に思った。

5月4日、東北道~釜石道を経由し、遠野市などに立ち寄りながら、15時過ぎに釜石道から三陸道を北上。

幾つかトンネルを抜け、大槌町に入ると…。

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4月下旬は数年に1度あるかどうかの出来事が相次ぎ、心身共に結構なダメージを負い、実は大槌町への訪問を躊躇していた。

20日、三陸沖で発生した地震と津波、そして後発地震注意情報の発表。
21日から22日にかけて暴風警報発表
22日には県内で3年振りとなる鳥インフルエンザ発生
同日夜には岩手県大槌町で発生した山林火災で緊急消防援助隊出動

特に大槌町で発生した山林火災は、町民の3割に避難指示が出される状況となったが、それでも、東北各地から参集した緊急消防援助隊や災害派遣された自衛隊、更には地元の消防団の懸命な消火活動もあり、町面積の約8%を焼失して2日午後に鎮圧した。

地震・津波に山林火災の影響もあり、大槌町内では宿泊のキャンセルが相当数あったらしい。

この時期に訪問していいものかと思案しつつ、大槌町在住のKさんに聞いたところ「是非来て欲しい」とのこと。

そうですよ!こういう時だからこそ被災地を応援するって大切じゃないですか…。

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大槌町に入ると、確かに焼け焦げたようなにおいが微かに感じられる。

最初に目指したのは、旧大槌町役場跡地。

15年前、目にして絶句した役場の建物は既になく、跡地は綺麗に整備され、子供たちがバスケットボールに興じていた。あの時見た光景は跡形もなかった。

旧大槌町役場。 上段は現在。下段が2011年4月。

モニュメントとして設置された石碑の内容をしっかり目に焼き付けながら、静かに思いを馳せてその場を後にした。(後篇に続く)