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【ネタバレあり】岡村靖幸 2016SPRING TOUR 幸福 青森公演 #岡村靖幸

2016年5月13日金曜日。僕にとって2年ぶりとなる岡村ちゃんのコンサート。
4月から始まった春の全国サーキットツアー、東北地方での公演は、青森と15日日曜日の仙台のみ。青森県内のみならず、全国各地から「ベイベ」と呼ばれるコアなファンが集まるのは容易に想像がついたものの、いかんせん大型連休明けの金曜日。直前までテレビでCMが流れていたほか、当日券の発売もあるということで、これは客の入りはあまり期待できないな、と思っていたのですが…。何を思ったのか開場15分前にリンクモア平安閣市民ホール(青森市民ホール)に到着、かなり前の方で開場を待っていました。狙いは、限定販売されていた「幸福袋」だったのですが、開場と同時にグッズ売り場に向かった時点で「SOLD OUT」となっていました。(もう一つ狙っていたピンバッジもSOLD OUT。残念!)
仕方がないので(?)、他のグッズをいくつか購入。
レシートにはピーチマークとツアータイトルが。(18時開場で18時02分頃には購入し終えていたので、どれだけ前に並んでいたのかはご想像にお任せします。)

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僕の座席はG列、てっきり前から7列目だとばかり思っていたら、ステージを広く取っていないようで、A列の前にSA~SDの4列が設けられており、通路を挟んだ11列目。前回より後方になってしまいました。まあでも、真ん中寄りなので贅沢は言いません。
会場をパッと見渡すと、8~9割は女性。年齢層は、僕と同じ40代半ばが多いように見受けられました。恐らく中学~高校時代からハマった人ですよね。わかります、ええ、わかりますとも。
で、懸念していた客の入りは、7割程度といったところでしょうか。
また、男女問わず「AOMORI BABY」のTシャツを身に纏った方をたくさん見ましたが、僕はそういうのはあまり好きじゃない(グッズで服を買ったことはほとんどない。だって、着る機会がない。そして、そもそもAOMORI BABYのTシャツを販売したツアーは観ていない。)ので、敢えて紫のネクタイで。なんで紫か?そりゃ聞くまでもないでしょう。
ステージは薄い緞帳(カーテン)で閉じられており、真ん中にドラムセットの真上には、ピーチマークがうっすらと浮かび上がっています。2年前に見たステージ構成と、あまり変わらない感じ。
あ、会場内は当然のことながら録音撮影禁止なので、開演前の撮影はしませんでした。それは当然のマナーってもんじゃないのかな?ベイベ。

18時30分、開演時間きっかりに場内の照明が暗くなり、雨音と雷の音が鳴り始めました。
【注!以下ネタバレあり】

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ゆっくりとステージの幕が開き、いよいよ開演。1曲目は当然、11年半ぶりに発売されたアルバム「幸福」の1曲目、「できるだけ純情でいたい」。ミディアムテンポの曲でスタートしたということで、会場はいきなりのデンスチャンスロマンスタイムというよりは、何か様子見で始まったような感じ。

以下セットリスト(のような気がするのですが、曲順が錯綜しています。指摘していただければ順番入れ替えます。)

できるだけ純情でいたい
Can’t Hide Love (Earth, Wind & Fireのカバー)
新時代思想
どぉなっちゃってんだよ
カルアミルク
Punch↑
祈りの季節
ぶーしゃかLOOP
揺れるお年頃
ラブメッセージ
彼氏になって優しくなって
いじわる
イケナイコトカイ
愛はおしゃれじゃない
ビバナミダ
あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう
だいすき
【アンコール 1】
(E)na
ヘアー
ステップUP↑
SUPER GIRL
【アンコール 2】
(ピアノ弾き語り)
Sometimes It Snows In April
(Princeのカバー!!キタ――(゚∀゚)――!!)
だいすき
青森ベイベー

Lion Heart
Out of Blue

18時30分から始まって、途中2人のダンサーの客演やらバンドメンバーの演奏やら(恒例の)長めのMCやらもあって、個人的には正直ちょっと間延びする感がありましたが、終演は21時25分頃でしたから、約3時間にわたるパフォーマンスとなりました。
今回はツアータイトルが「幸福」ということで、それを意識した選曲だったのでしょう。アルバム「幸福」からは全曲演奏しましたが(「ぶーしゃか」はまたアレンジが施されていたので、もはや何が何だか、といった感じ)、アルバム「DATE」や「靖幸」からの楽曲が多かったのが個人的にはちょっと嬉しかった、けどやっぱり昨年のセトリを見てしまうと、「キィーッ!」って感じなんですけど。
2曲目に演奏した「Can’t Hide Love」はEW&Fのカバー。あれー、この曲何だったっけなあ、とずっと考えていたのですが、ググったらちゃんと出てきました。

そしてそしてっ!!
2度目のアンコール、ピアノの弾き語りコーナーでは、いきなり1曲目にPrinceの「Sometimes It Snows In April」を演奏!周囲の人は「この曲、何?」みたいな感じでポカーンとステージを眺めていましたが、私、座席に座ったまま独りで落涙(というか咽び泣き)していました。この曲をPrinceのライブステージで聴きたいという夢は幻となりましたが、はからずもそれを岡村ちゃんが叶えてくれたといった感じ。
たぶんPrinceの急逝は、岡村ちゃんにも相当なショックを与えたんじゃないかと思いますが、こういう形でトリビュートしてくれただけでも、僕自身「ああ、今日ホントはメッチャ忙しかったんだけど、仕事を切り上げてまで足を運んで良かったな」と思ったわけです。

岡村ちゃんとPrinceの相関性については先日もちょっと触れたところですが、今回のステージでも何となくそれを彷彿させるようなシーンがいくつか見受けられました。紫のスーツに身を纏っていたのもその一つだし、今回のセットリストに組まれた「Punch↑」は、Princeの「Housequake」をモチーフにしたような楽曲の構成だし、あのマイクを使ったダンスだって…。

アレンジが多く施された曲も多く、「どぉなっちゃってんだよ」はあのアップテンポが定番になったんですね。「(E)na」も一瞬、何の曲が始まったのかわからなかった。逆に「ステップUP↑」の緩いテンポはあまり好みじゃなかったなあ。

ついでに言えば、観客の盛り上がり方が前回観た時と違うような気がしたんですが…。ハッキリ言って、観客の一体感が全然なかった。ミディアムテンポの曲から始まり、次の曲がいきなり英語のカバー曲だったということへの戸惑いが見られたのは確かです。でも、どうせファンクラブ以外の人なんか隣同士、しょせん一期一会なんだからさ、ちょっと恥を曝け出してもいいんじゃない?って思っちゃうんですけど。(逆にファンクラブの結束力というか仲間意識の高さ、裏を返せば、僕みたいな一般ピーポーよりコアなファンであることの自己主張に閉口してしまったのも事実。)
周囲からは、え、こんな曲知らないよ?みたいな戸惑いを感じてしまったのも事実。さすがに新譜を聴かずしてやってきたという強者はいないと思いますが、今度からは最低限の予習はしましょう。この調子じゃ、次回のツアーから青森外されますよホントに。
恐らくこれが、この日一番の違和感。

とはいえ、「行くよ!青森」と言って何度も見せてくれた50歳とは思えぬダンスとか(でも、何となく前回よりキレを感じなかったのは気のせい?)、うまいのか下手なのか相変わらずわかんないんだけど引き込まれてしまう歌唱力とか、客の煽りとか、なんかまた観たくなっちゃうんですよねえ。

でも、願わくば次回、土日祝日でのライブ開催を希望します!そうすれば近県の皆さんも来やすいですから、ねぇ!

最後に、今回の入手アイテム。
DSC_0429スマホリング ¥1,200
DSC_0427パイルブローチ(見た目以上にチープ感満載w) ¥1,000
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リストバンド(想像よりデカかった…) ¥1,000
DSC_0424幸福ハンカチ(レシートには「幸せハンカチ」と…) ¥1,000

岡村ちゃんと私

点滴生活6日目。一応本日をもって点滴はいったん終了し、土曜日の検査に臨みます。ホントに一時はどうなるかと思いましたが、少しずつ、ゆっくりではあるけれど徐々にまた歩み始めている感じ。しつこいようですが、今一度原点に立ち返り、あわてず、あせらず、あきらめずの精神で。

さて、本当は明日も点滴の予定だったのですが、ちょっと別件があり、明日の点滴は休みます。実は岡村靖幸のコンサートが青森市内であるので、それを観に行きます…独りで。

昨年の青森公演は、まさにコンサートが行われるその日の未明に義父が他界し、僕にとっては幻のコンサートとなってしまいました。(しかも妻は飄々とした顔で、「コンサート、行ってきてもいいよ!」と言ってくれましたが、行けるか!苦笑)
あの曲を演奏した、あの人の曲もカバーした、色々話を聞くたびに歯ぎしりをしていましたが、1年越しにようやく彼と再会することができそうです。

その岡村ちゃんと切っても切り離せないのが、プリンス。
先日NHK-BSでプリンスの追悼番組が放映されましたが、リアルタイムで観ることができなかった(まだ調子が悪くて寝ていた)ため、昨晩になって、録画していたものを噛み締めるようにじっくりと拝見しました。余計なナレーションやコメントが一切排除され、亡くなるまでの彼の音楽キャリアを総括した1時間10分の番組、締めはもちろん「パープル・レイン」でしたが、思っていた以上の秀逸な内容に、思わず落涙してしまいました。

デビュー当時から「和製プリンス」と揶揄され、プリンスと松田聖子とビートルズに多大な影響を受けたことをこれまでも公言していた岡村ちゃんが、プリンスの死をどのように受け止めているのか非常に気になるところではありますが、プリンスが亡くなった直後の札幌でのライブでは、プリンスの隠れた名曲「Sometimes It Snows In April」を演奏したらしく。

彼のステージやパフォーマンスを見ていると、確かに随所にプリンスの影響を受けたであろうシーンが見受けられます。とりわけそのステージアクションは、プリンスにとって3作目の映画となった「サイン・オブ・ザ・タイムス」の要素がかなり織り込まれているのが分かります。

もっとも、プリンスの要素をいち早く取り入れたのは、大澤誉志幸だと言われていますが…。(上下紫のスーツに身を纏って登場したり、アルバム「CONFUSION」から「Serious Barbarian」シリーズまでの頃の楽曲を聴いてみても、かなりプリンスなどの影響を受けたようなサウンドを耳にすることとなります。)

プリンスと岡村ちゃん、僕にとってこの二人の共通点は、「最初の頃は全く興味がなく、むしろ嫌悪していた。」ということでした。プリンスの名前を初めて知ったのは中学生の時、パープル・レインが大ヒットしていた頃になりますが、むさ苦しい風貌に金切り声を上げながら唄うその姿は、純朴で無垢な田舎の少年(←自分で言うな、ってか)にとっては単なる衝撃でしかなく、何かとてつもなく「汚い」何かを見てしまったような気分に苛まれたのでした。
一方の岡村ちゃんも、デビューの頃からラジオで彼の楽曲を何度も耳にしていましたが、何か微妙に外れた音程にバランスの取れない声量と、こちらも「何か変なのが出てきたな」ぐらいな感じで全く聴く気は起こらなかったのです。

しかし、1987年に発表された「Dog Days」という楽曲のPV、ケミカルジーンズの上下に阪神ファンを彷彿させるような虎柄のボーダーというファッションセンスのかけらもない衣装(当時はこれも「アリ」でしたが。)に、小芝居を打ったような中途半端に爽やかな内容がこれまたとても斬新で、それまでの彼に対するイメージが変わってしまったのであります。


(ちなみにこのPVは、1987年当時に発売されたものを音源としていますが、以降のベスト盤に収録されたこの曲は、あまりの音程のはずれっぷりに気づいたのか、なんと録り直しがされています。しかし、録り直ししてもなお…以下略)

更にその約1か月後に広島で行われた「Alive!Hiroshima1987-1997」というコンサートイベント(今で言うロックフェスの走りのようなイベントで、国内のそうそうたる顔ぶれのアーティストが集結したもの)が、後日NHKで放映され、人目ばかりをやたらと気にする岡村ちゃんと、なりふり構わずやりたい放題の尾崎豊が共演するというシーンを見て、衝撃と感動を受けました。その時の動画が、こちら。

録画したVHS、何度観たか分かりません。

この2つで、僕の心はグッと鷲掴みにされ、翌年3月に発売された2枚目のアルバム「DATE」の購入へと続いていったわけです。
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岡村ちゃんの、他人様に迷惑を掛けながら過ごしてきた波瀾万丈に満ちたこれまでの生きざまは、敢えてここでは触れませんが、僕自身、45年のうち半分以上を彼やプリンスの音楽を聴きながら生きてきたわけで。

気づいたら岡村ちゃんも50歳になっていたわけですが、それでもなお青春を謳歌するような楽曲を発表し、他方それに心ときめかせる青年45歳、どちらもオッサンでちょっと気持ち悪いですかね(笑)。

明日は病のことを忘れて弾けたいと思います。だって、青春て1,2,3,ジャンプですから。

キャッシュバックキャンペーン

通院5日目。まだ痛みは残っていますが、当時の痛みと比較したら今は1~2程度といった感じ。ぼちぼち闘いも佳境に差し掛かっているような気がしています。憩室炎って、絶食点滴で1か月以上入院、ということもざらにあるようなので、僕の場合はまだこれでも軽症なのかも。いっそのこと、痛みの元から根こそぎ腹の中をほじくり返して引っこ抜きたいのですが、そんなことをしたら当時の痛みと比較して1千万ぐらいになりそうなので、やめておきます。そう、今は我慢ガマン。ちなみに点滴の際に看護師さんから「食事制限とかされてます?別に好きなもの食べて飲んでもいいんですよ。ガマンはむしろストレスですからね。」と言われました。どうやら額や頬に大きく「ストレスの塊」と滲み出ていたようです。

じぶんのことだよ昨日夕方、病院の待合室での光景。どうやらトッチャ二人が久しぶりに再会したらしく。
A:「んろぉ!ズンブ久しぶりでネガ。」(あら!随分久しぶりじゃないですか。)
B:「ろろろろろ、どしちゃばー?」(おやおや、どうしていました?)
A:「んー、まんずな。ながなが銭ンコ回んねくて、タンダデネクテラジャ。変わりネクテラガ。」(ええ、ぼちぼちってところですかね。商売の方はなかなかお金が回らなくて、大変でした。お変わりありませんか。)
B:「んー、まんずな。(会計を済ませ)ヘバ、マンダロ!」(ええ、おかげさまで。それでは、また!)

…AさんBさんに聞きたい。んー、まんずな。じゃなくて二人とも、何かお変わりあったから病院に来ているんですよね?(笑)


今年の7月、初めて十和田湖畔でハーフマラソン大会が行われます。どうせなら参加してみようかな、と公式サイトを覗いてみたら、何と5月9日で定員に達したためエントリー受付終了となっていました。僕は結局エントリーできませんでしたが、定員が足りず四苦八苦するよりは良かったのかな。
面白いなあと思ったのが、受付時間が何と朝の7時15分までとなっていること。これだと、遠方からの人は宿泊しなければ参加が難しいと思います。もう一つは、7時30分から船(恐らく遊覧船)で出発地点まで移動し、その移動の船内で開会式が行われること。田沢湖マラソンでも10キロのスタート地点まで船で移動していましたが、十和田湖でも、遊覧観光という一つのコンテンツをここで示すという観点からも面白い取組だなあ、と思いました。田沢湖でやれるなら、十和田湖でもやればいいのに…とずーっと思っていましたが、願いが通じたような気分です(まあでも、コースは決して楽ではないと思いますが…。)

最近はマラソン大会が乱立しているような状況で、季節問わず毎週どこかで何らかの大会が行われているといっても過言ではないと思います。
もはやランニングが一つの市民権を得ている中、これからの大会は何らかの特徴がないと参加者を募り、維持していくことが難しいのではないかと思います。
大きく分類するなら、次の二つ。

・記録重視型のレース(日本陸連公認であることが望ましい)
・記録より地元売り込み型の大会(でも、記録もそこそこ狙えるのが望ましい)

大会も千差万別であれば、ランナーも千差万別。ストイックに記録を狙うエリートランナーもいれば、走ることはともかく、その地域の雰囲気や観光を楽しみたい、というファンランナーもいることでしょう。
ただ最近残念なのは、ランナーが「もてなし慣れ」してしまっているというか、「ランナーなんだからもてなされて当たり前」、「エイドも充実していて当然」みたいな風潮が、まん延しているような気がするのです。

また、ここ最近はエントリー代の高騰が問題視されることがあります。エントリー代が1万円を超える大会も増えてきましたし、北海道は函館で今年初めて行われるフルマラソンの大会も、それまでのハーフマラソンの時と比べて急にエントリー代が高くなったと嘆く声がありました。僕が昨年走ったさいたま国際マラソンも、今年のエントリー代は約1.5倍になるらしいです。さいたま国際はこれ以外にコースの変更とか制限時間の緩和とか、何となく魅力が一気に薄れてしまった感があります。

大会を運営する中で、一番経費を要するのが警備だと言われています。
そこで、マラソン大会でのこんなキャンペーンを考えてみました。

キャッシュバックキャンペーン。

ゴールまでの制限時間3時間30分の大会であれば、制限時間6時間の大会より少なくとも2時間半は警備の時間は短くなるはずです。ということは、警備に係る経費は安く済むの、かな?(あ、でも終日契約で時間契約ではないのか。)
ゴールする時間が早ければ早いほど警備代はかからないという前提で、参加エントリー代が安くなる、つまり、最初は一律で頂くエントリー代を、ゴールタイム毎に区分けしてキャッシュバックするという仕組みです。例えばゴールタイムが2時間30分以内であれば3,000円キャッシュバック、3時間以内であれば2,000円、4時間以内であれば1,000円、それ以降はゼロ、といった感じです(もっと細分化してもいいかも知れませんが。)
ただし、遅れてゴールする方たちにもそれなりのメリットはあります。
エイドに置かれる給水や補食が、時間の経過とともに豪華になっていく、というものです。最初は水とスポーツドリンクのみ、時間が経つとともに飴、梅干し、バナナ、ドライフルーツ、軽食、地元の名物、しまいにはアルコールと豪華になっていくのです。早くゴールするエリートランナーの皆さんは、こういうエイドの恩恵を授かることはない(というか、最低限のもの以外はあまり必要としない)一方で、ゆっくり走る人達は色んなものを口にすることができるわ警備もちゃんとしてもらっているわで、それ相応の対価を払っているんだから仕方がない、という風潮に…ならないか。(笑)

まあ、僕がここ数年参加している夏の某マラソンでは、先頭が駆け抜けてからかなり遅れて給水所にたどり着いたら水がなかったとか、手渡されたスポンジが乾いていた、という笑うに笑えない事態も起きていました。

個人的には、ゆっくり走る人にこそ給水や補食といったエイドがしっかりしていなければならないのではないかと考えます。まあ、NAHAマラソンは、沿道が私設エイドだらけなのでその心配はありませんが。
ただ、ゆっくり走るということはスタッフや関係者の拘束時間もそれだけ長くなるということになるので、それ相応の対価は支払おうね、というだけのことなのですけど。ちなみにこのキャンペーンの一番のネックは、採算が取れるかどうか、実際にやってみないとわからない、というところでしょうか。って、そんなの誰がやるんでしょう…。

いやあ…さすがにぼちぼち走りたくなってきました。開腹しなくとも快復するまでもう少しです。頑張ります。

Facebook、やめました!

「憩室炎の疑い」との診察を受け、点滴の投与を始めて4日が経ちました。
通院初日、検査のために採血をしていたときに、僕のすぐ背後で視力の測定をしていました(健康診断をやっていたようです)。

看護師「指し棒の示すひらがなを読んで下さいね。はい、これは?」
男性「き!」
看護師「これは?」
男性「ほ!」
…といった感じで検査が始まったのです。
ところが下に進むうちに、いよいよ見えなくなってきたらしく。

看護師「これは?」
男性「えーと…えーと…ひ…ひだり!」
看護師「(笑いをこらえて)○○さん、ひらがなですよー。」

思わず振り返り、指し棒の指す字を見たら、「つ」と書いてありました。
うーん、何か惜しい!!


さて、お医者さんから食事制限は特にされてはいませんが、暗黙の了解とでもいいましょうか、アルコール、カフェイン、炭酸飲料、香辛料など、腸に過度の負担や刺激を与えるものの摂取を避け、スナック菓子などのおやつ類も摂らないようにしています。
その影響もあってなのか最近、舌が研ぎ澄まされてきたとでもいえばいいのでしょうか、あれ?これってこんな味だったっけ?とか、これって意外と塩分濃度が濃いな、とか、あら?これってこんなに粉っぽいんだ、とか、今まであまり気にしていなかったことが気になるようになりました。
発症するまでの直近の生活ぶりというか食事を振り返ると、なるべくしてなった、といわれても仕方がないような食生活を送っていましたので、ある意味これも一つの戒めなのだろうと考えています。
もちろん基本的には「安静」ですので、運動の類は一切やっていません。まあ、ストレッチぐらいはやっても問題ないのかも知れませんが、上半身を捻ったときに腹痛が悪化しないか怖くて、それすらもやっていません。

そんな中で、僕にとって厄介な存在となってしまったのが、Facebookでした。
食事制限を課している中でアップされるビール、ラーメン、揚げ物などなど…。
もちろんアップしている本人には悪気があるワケがないし、今はそれをどう受け取るかというこちら側の問題ではありますが、正直言って見ているのも辛いものがありまして、身体は「安静」でも心の中で何かがメラメラと燃えるのがわかるぐらいでした。
端的に言えば、こんな感じ。
fkfb
おっと、すいません。薬指が立ってしまいました。もう一度言いますが、これは受け取るこちら側の問題なので、投稿された皆さんは何も悪くありません。
しかし、今のこの症状が劇的に良くなるはずもなく、このままだと更に毒づくだけだな、と思い、一度Facebookから距離を置くことに。
まあ、色々考えることもあり、この際そのままアカウントを削除しようかな、とも思ったのですが、あのグループとかあのページとか、自分が携わっているのが幾つかあるということで、アカウント削除は保留することにしました。
で、何をしたかと言いますと、スマートフォンなどの携帯端末からFacebookアプリをアンインストール。

そう、「Facebook、やめました!…携帯端末で。」

で、このFacebook、気がついたら僕と繋がりを持っている方が650人ほどおられるのですが、大別すると、次のとおりとなります。

(1)小・中・高・大の中で苦楽を共にした友達や仲間
(2)県内外の同業者及び仕事関係で繋がりを持った皆さま(この中には、同業の誼というだけでこちらから一方的にリクエストした方もたくさんいます。すいません。)
(3)趣味・嗜好・個人的な活動を通じて知り合った同士の皆さん
(4)これまでの間、個人的にお世話になった方や、昔からの知り合い(父を通じて繋がっていただいている方もたくさんおられます。ありがとうございます。)
(5)その他(まだ一度もお目にかかったことがないけど、何となく繋がっている方、Facebookに首を突っ込んだ頃に、取りあえず繋がりを持った方、など)

…で、この際ということで、「親しき仲にも礼儀あり」ならともかく、親しいところかお会いしたこともないのに礼儀も知らないような十数名の皆さまを、バッサリ斬り捨てました。何のことかと言いますと、メッセージなしで「友達リクエスト」された皆さま。こういうリクエストを下さる方は、大体お目にかかったことのない方が大半。すいません、諸般の事情で今は初めまして!の一見さん一切お断りなのであります。というか、リクエストの時は必要最低限のメッセージぐらい送ってこいよ、こら。
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おっと、すいません。今度は小指が立ってしまいました。正直言いますと、約650名もちょっと整理したいな、と思っています。特にこれまでほとんど無反応の方。多分アカウント持っているだけですよね?逆に一気にスタンプのように「いいね!」を押してくる方。中身も見ないでそんな一気に「いいね!」を押さなくても…。お知らせを開いたときに同じアイコンがずらーっと縦に並んでいると、ハッキリ言って鬱陶しい。

人数が多けりゃいい、誰とでも取りあえず繋がっていればいいってものでもなく、取捨選択も必要なのかな、と前々から思っていましたが、舌が研ぎ澄まされるように、真贋を見極める、というのとはちょっと違いますが、ちゃんと人間(ひと)を見る目も磨いていかないとね。って、このブログの投稿後に一気に100名ぐらい友達が減っていたら、失笑ものですが…。

とはいえこのアンインストールも、恐らく一時的なものになるはず。色々不便を感じるようになったり(事実、土曜日定例の朝練では、スマートフォンがないと画像の投稿ができない)、必要な状況が生まれたら、また復活させることになると思います。でも、まずは周囲の雑念(ビールとかラーメンとか揚げ物とか)を振り払い、完全治癒に向けた治療に専念しようと思います。

憩室炎のこと

僕の身体の中には「憩室」があります。

憩室とは…

腸管の内壁の一部が外側に向かって袋状にとびだしたもの。 内視鏡でみると、くぼみのようになっています。 憩室の数はさまざまで、頻度は年齢とともに増加しますが、大腸検査を行うと10人に1人くらいの頻度で見つかります。

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この憩室、我が家では亡父、妹、そして僕とかなり保有率が高いという。

僕は8年ほど前に内視鏡検査を行った際に、憩室持ちであることを知らされました。普段はおとなしくて何もしないけれど、何かあるといたずらするから、そんな感じのお話を医師から聞かされました。ポリープは内側に出てきて切除するけれど、憩室を切除する人は少ないということも伺いました。

その数年後、極度の腹痛に見舞われ病院に駆け込むと、その原因が「憩室炎」であると判明しました。発熱、食欲不振、激しい腹部の痛みを繰り返し、抗生物質の投与などでようやく快方に向かった、そんな感じでした。

おとなしくしているうちはいいのですが、憩室炎に気付かずに重症化すると長期入院とか色々厄介なことになるので、早期発見が大事になります。(これは病気全般に言えることではありますが。)

玉置浩二が憩室炎のため緊急入院 5公演を中止に

今年の4月は雪解けが進むのが早かったこともあり、初旬からランニングの環境はバッチリでした。

毎年この時期は過度の走り込みが祟って怪我をするというパターンでしたが、今年は怪我もなく順調に調整が進み、4月のハーフマラソンで自己ベスト更新と順調にシーズンインしたところで待ち構えていた最初の落とし穴が、腰痛でした。たぶん、いよいよ老化現象が顕著となってきた愛犬のハナを気遣い、かなり窮屈な姿勢で寝ていたのが災いしたのでしょう。2戦目の10キロを回避し、3戦目の「八戸うみねこマラソン」でまた頑張ろう…と思っていたのですが。

違和感を覚えたのは5月2日の辺りから。どうも走っていて腹部に力が入らないというか、すぐ疲れてしまうという症状が出始めました。そんなに走りこんでいるわけじゃないのに、どうしたんだろう。疲れかな?と軽く考えていましたが、そもそも連休中で大して疲れるようなこともしていません。

翌3日。走る距離を短めにしてみましたが、状況はあまり変わりませんでした。そして、何か微熱のようなものがあるのを感じました。まあいい、7日までに整えて8日を迎えよう。

ところが、僕の思惑とは裏腹に、状況は悪化するばかりでした。

4日。妻と出かけた先で突然腹痛に襲われ、歩くのも辛い状況に。しかしその時点で僕は、この症状は憩室炎ではなく、もっと違う症状のような気がしてなりませんでした。例えば、膵臓とか腎臓とか、下手をすれば心臓とか。帰り道、大きめの病院に立ち寄りましたが、あいにく小児科しか受け付けていないといわれ、一気に萎えました。

結局、時々服用している漢方胃腸薬を購入し、帰宅。4日午後から5日にかけて、すっかり弱った病人のように寝ていました。

6日は通常勤務でしたが、症状があまり改善されずないため、翌7日、ようやく病院で診察を受けたところ、「憩室炎の疑い」と言われました。

一度同じ症状で苦しんでいますので特に指示はありませんでしたが、基本的に安静にしていること、刺激のあるものを口にしないこと、この二つを遵守しながら、1週間様子を見ることになりました。

ひとまず7日そして今日8日は日曜日ではありますが、さきほど点滴を投与してきました。明日も点滴。どうやらしばらくは、点滴が主食となりそうです。

あわよくば八戸で行われるハーフマラソンでの完走をもくろんでいたぐらいですから、まだこれでも軽症だったのかも知れません。ひとまず炭酸飲料やアルコールを口にするのをやめ、香辛料の類は極力排除、脂っこい料理ももちろん取らず、一人前のお粥を一人でこしらえるという、昨日からはそんな感じです。それでも、食べられるだけまだいいんですから。重症になると絶食ですから。

しかし、安静ということはもちろんランニングやジョギングも×。よって、体調が落ち着くまでは、当面走ることから距離を置きます。

今まで大会にエントリーして参加できなかった(しなかった)ことは幾度かありましたが、さすがに2戦続けでのDo Not Start、それもそうなった要因が違うというのは、正直かなりショックが大きいです。今朝もバスで八戸に意気揚々と向かうメンバーを笑顔で見送りましたが、内心は複雑でした。悔しさ、虚しさ、腹立たしさ…まあ、最近いろんな伏線があったとはいえ、かなりネガティブな感情が渦巻いていたのは間違いありません。

とはいえ、憩室が体内から消えることはありませんし、むしろ年齢を重ねることでさらに増えるとも言われています。

ですから、暴飲暴食を避ける(食物繊維が多い、というか多すぎるぐらいの山菜はあまり得意ではないので、特に根菜を中心とした野菜を多く摂る)、余計なストレスを溜めない、こんなところでしょうか。まあ、走らないというか、安静にしなきゃならないため、天気がいい休みの日も走れないことがストレスの一つになっている、ということも言えるかも知れませんが…(苦笑)。

特に僕の場合、心身のストレスから暴飲暴食に走ることが多いで…。

この状況を逆手に取ったメンタル強化が、これから憩室炎を予防する一つの対策になり、ランを強くするのかもね。ま、また暴れることがないように、上手に付き合いたいと思います。