Monthly Archives: 6月 2009

浮き輪が萎んだ。

薄着の季節になると、冬場にため込んだ腹の周りの「浮き輪(要するに脂肪)」が気になる方も多いのではないでしょうか。かく言う私も35歳を過ぎたあたりから明らかに代謝が落ち始め、とりわけ腰周りの浮き輪は「固形物」と化していたのですが…。嗚呼、そういえば20代の頃は、脇腹をつまめるなんてことはなかったのに!

しかし。ここ最近、外見上の変化が着実に起こっています。
どうやらこの4月から始めた週末のランニングが功を奏しているようです。
何とこれまで、ベルトの穴2つ分浮き輪が縮み、今となってはベルトの穴を足さなければならないぐらいまでになりました。少なくとも冬場、ベルトの上に乗っていた脇腹の肉はほとんどなくなりました。

当然体重も減り、先日ついに一時的に65キロ台まで回復!!
残念ながらこれは一過性のものでしたが、現在は66キロ台後半から67キロ台前半に落ち着くようになり、体脂肪率も16~17%台で推移するようになりました。

正直、昨年の秋以降は路頭に迷い込んでいて、表面上は気丈に振る舞ってはみたものの、心の中では「この先一体どうしたらいいんだろう…。」「もうどうでもいいや…。」「どうせなるようにしかならないし…。」というネガティヴな思考ばかり蔓延していました。
毎日酒を煽り、口に入るものは何でもバクバク食べ、半分引きこもりのような状態に。その反動で体はブクブクと太りはじめ、気がつくと、スーツのベルトも必要ないぐらいまでパンパンになっていました。

冬には、畏友から「お前、相当太ったな」と笑われました。思えばあの頃、生まれて初めて体重が70キロを超えました。体脂肪も一時期20%台を指していました。

あれから半年、現時点で約3キロの脂肪を削ぎ落とすことに成功。今も(わずかながら)酒量をセーブし、口に運ぶものにも(少しだけ)気を遣っています。

ダイエットを主たる目的として走り始めたわけではないのですが、結果的にダイエットに繋がっているというのは、大変ありがたい効果です。ここまでハッキリと身体に出るとは思わなかったので、実は本人が一番びっくりしています。

徐々に距離を伸ばしながら、かつ極力平坦ではない道を選びながら、今週末はどこを走ろうか、頭の中でルートを考えるのがちょっとした楽しみとなりつつあります。浮き輪が取れたら、ダラダラ走りから脱却しようと思います。

太宰治 生誕100年の日

きょう太宰生誕100年 輝き今も
(東奥日報)

太宰治が金木村(当時。現・五所川原市)に生まれてから、19日で100年を迎えた。版を重ねて読み継がれる作品は、時に底なしの苦悩の告白として、またはユーモアあふれる筋立てにより、多くの人々に、生きる力を得るための手かがりを与えてきた。節目を記念した行事は引きも切らず、青森県が生んだ文豪に注がれる人々のまなざしは熱い。

19日の生誕祭は、生家・斜陽館のある五所川原市で開かれ、新たに制作された銅像が披露される。太宰が後半生を過ごした東京・三鷹市の禅林寺では、同じく生誕100年を迎えた盟友・今官一(弘前市出身)が命名した桜桃忌が行われる。

20日以降も青森県内では、記念フォーラムや「太宰治検定」、走れメロスマラソンなど多彩なイベントが続く。20日から県内上映開始の「斜陽」をはじめ、「ヴィヨンの妻」「パンドラの匣」「人間失格」と、節目とはいえ4作品も映画が公開される作家は、おいそれとはいない。太宰は日本を代表する作家の一人であり、青森県の大きな「財産」である。

今日は太宰治が生まれてちょうど100年の節目の日である。
太宰治といえば、ご存じの通り女たらしで何度も心中に失敗したあげく、39歳という若さで入水自殺により亡くなった。決して褒められるような生き様とは言い難いが、彼の遺した文学は、今もなお色褪せることなく読み継がれている。

僕が太宰治の作品に触れたのは中高生の頃のみだったと記憶している。
どうも斜に構えたというか、(僕もそうだけれど)天の邪鬼な視線で物事を見ているというか、そういうのがあまり好きになれないのだ。

ただ、太宰はわずか3年しか弘前に居なかったのに、意外と弘前びいきである。「津軽」では、以下のような記述があり、太宰が弘前を賞賛する一端が伺える。

太宰に言わせると弘前市は「津軽人の魂の拠りどころ」なのだそうだ。まあこれは、津軽地方が北は竜飛岬から南は碇ヶ関まで幅広いエリアであることを考えると、異を唱える人は多いような気がする。少なくとも津軽人にとっては、自分が生まれ育った地こそが、津軽の中心だと考える人が多い。
ただ、「青森市を特にきらつてゐるわけではない」が、「青森県の県庁を、弘前市ではなく青森市に持つて行かざるを得なかつたところに、青森県の不幸があつたとさへ私は思つてゐる」と言わしめるあたり、弘前市への思い入れの強さが伺える。

弘前には「どこを捜してもみつからぬ特異の見事な伝統がある筈」だというが、どうやらそれは、太宰亡き今となっても見つかっていないようだ。

太宰生誕100年という節目に、僕の年齢も太宰が命を絶った年代と重なってきた。そういう彼の生き様にも何となく同調できないところがあって、今まで何となく避けて来た太宰文学だが、確かPDAの中に電子書籍としていくつか作品が残っていたはずだ。
今はどういう風に響いてくるのか、久しぶりに作品に触れてみようと思う。

景気底打ち宣言

景気底打ち宣言 7カ月ぶり「悪化」削除 政府月例報告
(6月18日8時4分配信 産経新聞)

与謝野馨財務・金融・経済財政担当相は17日の関係閣僚会議に6月の月例経済報告を提出した。景気の基調判断を「厳しい状況にあるものの、一部に持ち直しの動きがみられる」と2カ月連続で上方修正した。昨秋以降の景気悪化の原因となった生産や輸出の持ち直しが顕著になっており、7カ月ぶりに基調判断から「悪化」の表現が消えた。与謝野経財相は会見で「景気は底を打ったと強く推定できる」と述べ、景気の底打ちを事実上宣言した。

政府が底打ちと判断したのは、民間企業の在庫調整が急速に進み、生産活動を示す鉱工業生産指数が2カ月連続で前月比プラスとなったほか、中国景気の持ち直しもあって輸出も急速に改善したためだ。平成19年11月に始まった今回の景気後退局面は、20年9月の米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻(はたん)以降、急激に悪化したが、約1年半で大きな転換点を迎えた。

個別項目では5月に「下げどまりつつある」としていた生産、輸出が「持ち直し」「持ち直しの動き」にそれぞれ上方修正。定額給付金やエコカー減税など政府の景気対策も一定の効果をあげたとみられ、個人消費も「緩やかに減少」から「一部に下げ止まりの兆し」に上方修正した。

ただ、雇用情勢は「急速に悪化」との見解を変えず、設備投資や住宅建設は「大幅に減少」に下方修正した。雇用などの一段の下ぶれを懸念し、「底打ちはしたが、回復とはいえない」(内閣府幹部)と先行きに慎重な見方を崩していない。

上を見るとキリがないし、下を覗くと底がない、それが今の日本経済だと思う。しかし、政府はこのタイミングで景気の底打ちを「敢えて」宣言した。

タイトルだけ見ると、景気が好転したような印象を受けるが、決してそういうことではない。
海に浮かんでいた船が沈没し、海底まで沈んでしばらくした後、ようやくその船を引き上げる段階に来た、というだけの話であって、船を引き上げるためのワイヤーも老朽化が進んでいるため、持ち堪えられるかわからない。ひょっとしたらワイヤーが切れて、更に深い海底まで沈んでいく可能性だってある。
いくら底を打ったと喜んでも、今の景気動向とは所詮そんな状態なのだろう。

正直、景気の底打ちを宣言するにはまだ早すぎたような気がする。あるいはまた例のごとく、東名阪に限っては、事態が好転したということだろうか。

少なくとも僕の周りでは、ここ最近景気が上向いてきたと感じている人はいないようだ(景気が上向いてきたと感じる方、是非コメントをお願いします)。

では、なぜこのタイミングで底打ちを宣言したか。
要するに、これまで政府が行ってきた経済対策が、ここに来て一定の効果を生み出しているんだというPRを、解散総選挙の前に打って出たいということなのだろう。選挙対策用に景気の底打ちを喧伝することで、これまでやってきたことが正論だったということを主張したい、という思惑も見え隠れしている。
まあ、与党にしてみれば何かと攻勢に出るための「ネタ」、つまり「売り」のポイントに欠いているだけに、何でもいいので明るい話題を提供したいということなのだろう。

本当に景気が回復したといえるのは、船を海面まで引き上げた後、船の修繕も終わり、再び出航できる状態になってからである。しかし、青森県内に至っては、どうもまだ船が沈んでいる途中のように思えてならない。
底を打っただけであって、決して経済が回復基調にあるわけではないということ、そしてその時期は、決してすぐに訪れるわけではないということを、肝に銘じなければならない。

余談ではあるが、平成5年6月、当時の船田元経済企画庁長官が景気の底打ちを宣言したところ、急激な円高と冷夏により、その後宣言を撤回せざるを得なかった、ということがあった。

本県では依然オホーツク高気圧の勢力が弱まらず、6月とは思えないほど肌寒い日が続いているような気がするのだが、果たして…。

岡田JAPANが突き進む階段は、幅が地球1周分

【岡田監督のコメント】
残念。選手はよく頑張ったが、相手のセットプレーの高さにやられた。全体として守備を破られたことはなかったが、攻撃でボールをうまく回せなかっ
た。(ワールドカップへの手応えは?)この1試合で手応えということはないが、着実に進歩していることは間違いない。(本大会まで)あと1年しかないの
で、1日1日レベルアップしていきたい。

だそうです。正直、もうこういったセリフは聞き飽きました。ボールをうまく回せなかったのは、今に始まったことではないはずですよね?今まで一体何試合やってきたんですか?そのうち、何試合手応えを感じたのですか?今日は、いわば飛車角を欠いたメンツだったのかもしれませんが、選手はこの戦いから何を得たのでしょう?これまでの予選で失点ゼロだった豪州から一点をもぎ取ったこと、これが評価に値することだとするならば、ぜひとも勝ち点3も勝ち取ってほしかった。しかし、あの戦いぶりからそれを期待するのは、正直無理だったのかな、と。
非常に手厳しい意見だと承知で言わせていただきます。今日の戦いぶりには心底ガッカリしました。

野球とボールの決定的な違いは、使用する道具の数が違うことと、攻守の分け隔ての違い、といった感じでしょうか。
ただ、少なくとも今の岡田JAPANには、侍JAPANのような「ひょっとしたらやってくれるかもしれない」という期待感を持つことができませんし、それを感じることすらできません。相変わらずの決定力不足と、得意としているはずのセットプレーがまるで体をなしていませんでした。

試合に臨む選手からも、何か本気で勝とうという雰囲気が感じられないというか、アウェーの洗礼にのみこまれてしまっているというか。

目標はW杯4強を、と豪語しているようですが、とてもじゃないが今の戦術では、本選のグループリーグで勝ち点をもぎ取ることすら怪しいところ。1日1日レベルアップしていくとのこと、この際地球の端から端まで隈なく歩き回って、そのスキルを伸ばしてください。

もう、こういうストレスの溜まる戦いはうんざりです。
たまにはアンチ岡田JAPANの溜飲を下げるような戦いをして下さい。それが、今の岡田JAPANに望む唯一のお願いです。

河川敷のゴルフ場

岩木川河川敷ゴルフ場 債務超過で厳しい経営(陸奥新報)

弘前市などが出資する第三セクターの弘前ウオーターフロント開発が、2008年度決算で繰越欠損金が2億8704万円に上り、債務超過の状態にあることが15日、分かった。厳しい経営状況の中、市は、資本金の25%を出資し同社取締役の半数を派遣している立場から「会社の経営状況に十分留意しながらさまざまな観点から(今後の対応を)検討したい」との考えを示した。
(以下略)

ここの社長は、まさに弘前市の名士といっても過言ではないだろう。手前味噌ながら僕たちの仲人も務めてくださった方であり、亡父が自分の兄弟以上に懇意にしていた方である。
この会社の関係者には、これまた父の大先輩も含まれており、関係者の皆さんには失礼な言い方かもしれないが、もし仮に今、父が生きていたら、まず十中八九この騒動に巻き込まれ、関係各方面との調整、整理に追われていたことだろう。

僕自身このゴルフ場では、10年以上前に僕も2度ほどプレーしたことがある(というかゴルフ場でプレーをしたのは4度しかない)のだが、「市民ゴルフ場」と名付けているとおり、初心者でもかなり気軽にプレーできるところではある。ただ、ゴルフを趣味としている人にしてみれば物足りなさが残るコースであり、片やゴルフ初心者には、「市民ゴルフ場」とは言えども何となく敷居の高いところであった。

何よりも記憶に残っているのは、岩木川が大増水に見舞われたとき、ここのゴルフ場がスッポリと水に覆われてしまい、水が引いた後に出てきた、コースの上に残された大量のゴミと、池の錦鯉が川に流されて全て居なくなっていたという、笑うに笑えない出来事だ。

しかし、繰越欠損金が3億円近くなってからこれを公表し(しかも議員の答弁という形で)、しかもこれから今後の対応を検討するというのは、あまりに遅きに失した感が否めない。

各地で第三セクターが軒並み経営不振に陥る中、「河川敷よ、お前もか!」といった思いに駆られる。

このご時世、もはや「市民ゴルフ」が文字通り市民権を得るとも思えず、債務超過に陥っているという状況を考慮しても、遅かれ早かれ「決断」をしなければならない時期はやってくるだろう。問題はその「決断」を誰がするのか、そしてその「責任」を誰が取るのか、ということに絞られてくるに違いない。

ひょっとしたらその間、父はあっちへこっちへと振り回され、そのことが家庭内不和の温床になっていたかもしれない。

正直今回ばかりは、今ここに父がいなくてよかった、と安堵している。

トラブルは水際で防げ、とはいうが、もはやこの問題に関しては水際どころか腰の上あたりまでに水が来てから「何だか冷たいな」と感じているようなものだ。
関係者にしてみれば、「やっかいな話はこの際水に流して…」と行きたいところかもしれないが、残念ながらこの件はそう簡単に水に流す、というわけにはいかないだろう。今までやってきたことはもはや「覆水盆に返らず」であり、こうなってしまえば、「水泡に帰するだけ」、とばかりに匙を投げ出し、責任の押し付け合いが始まるのだろうか。

どうやらこの件については「雨降って地固まる」とは行かず、これから豪雨が待ち続けているような気がする。果たしてどんな形で幕引きがはかられるのか、父に代わり傍観者の気分で注視していこうと思う。