月別アーカイブ: 2008年10月

嗚呼、母は強し

言わずもがな、父が亡くなって一番ショックを受け、そして一番憔悴していたのが母だった。

父同様、人前では強がることが多かった母が、僕の前で大粒の涙を流したのが8月のことだった。
そしてその1ヶ月後、父は突如として旅立ってしまった。

この時の母は流石に、家族が端で見ていても心配になるくらい泣き、そして落ち込み、まるで魂を吸い取られたような全く生気のない姿だったのだが、その後は周囲の人の支えもあって、徐々に気力と覇気を取り戻していた。

立つ鳥跡を濁さずというが、父は鳥ではなかった。なので、お茶に濁したままとなってしまった課題を、解決の方向に導くのは我々の役目となった。

人は亡くなった後が大変だということは耳にしていたが、実際現実を目の当たりにして、何からどうやって手を付けていったらいいのか、連日思い悩んでいるというのが実情だ。

遺された家族が手を取り合って前に進むということは、口にするのは容易だが、実際は非常に困難であり、また、母を支えてあげて下さい、という周囲からの励ましも、いざ支えてあげようと思ったところでなかなか出来るものではないことが、ここ数日でわかった。

調子はいかがですか?大分落ち着きましたか?お母さんは大丈夫ですか?お母さんが心配です。

最近お会いした人たちからはよくこういった声を掛けて頂くのだが、皆さん、そして我々の心配は杞憂だった。狼狽する我々をよそ目に、一番冷静でしっかりしていたのが、実は母だったようだ。

嗚呼、母は強し。

そして、やはり親は偉大である。

いくらもがき努力しても、親という存在を超えることは絶対に不可能なのだということを悟ったここ数日の出来事。

下世話な言い方をすれば、父は死んだ。
しかし、敢えて哲学的な言い方をすれば、父の肉体が朽ち滅び、形としての父がなくなっただけであり、その精神はそして魂は、我々家族の中に、今もまだ息づいている。

母そして我々を心配して下さった皆さん、本当にありがとうございます。少しずつではありますが、暗闇から脱しつつあるようです。

Michael Jacksonのベスト盤

久しぶりに音楽ネタを一つ。
新譜が出るという噂が出たと思ったらあっさりと音源がリークされ、あっという間に流出してしまったマイコーさんの生誕50周年を記念したベスト盤、「King Of Pop」が大変なことになっています。
何が大変かというと、各国それぞれの投票上位が、それぞれの国のバージョンとして発売されるため、同タイトルのアイテムだけで20種類以上になってしまうことが見込まれるのです。

マイケル・ジャクソンのファン投票選曲によるベスト・アルバムが生誕50周年記念としてリリース!このアルバムは世界各国(現在
20ヶ国以上で発売予定)ごとにファン投票を行い、多くの得票を集めた曲から優先的に収録され、その国ごとに発売されるという、まさに各々の国のファンに
とっての究極のベスト・アルバムとなります。

個人的に一番食指の動いたバージョンは、リミックスバージョンが収録された3枚目のCDを擁するUK盤のみで、その他はどれもドングリの背比べ。とりわけその中でも国内盤は見送っても全く問題のないアイテムとなってしまったような気が…。

新譜が期待できない今年は「Thriller」の25周年記念盤だけで十分だったのに、「Number Ones」「The Essential」とベスト盤が続いたところにファン投票のベスト盤まで追加投入って、どうよ?という気もしない訳じゃないのですが…。まぁ、世界各国の別バージョンに思いを馳せるのも一つでしょうけれど、個人的には「The Ultimate Collection」だけで十分網羅されるのではないか、という結論に達しましたが、いかがでしょう?

1ヶ月経った

早いもので父が他界して1ヶ月が経った。
母から第一報を受けたのが月曜日の朝だったということもあってだろうか、何となく週明けの出勤は気が重いのだが、これもまた時間の経過が徐々に浄化させていくのだろう。
ようやく母も、今もなお時折訪れる弔問客の前で涙を見せなくなったし、少しずつではあるが前を向いて歩き始めている。

そういえば、父が亡くなってからしばらく、僕の手の平の皮膚は異常とも言えるぐらいボロボロに剥けてしまったのだが、ここ最近は大分収まりつつある。僕自身、精神的に少し落ち着いたのかも知れない。

その一方で、父が亡くなってからの酒量はハンパでなく増えており、しかも飲んでも飲んでも酔わない(酔えない)という状態が続いている。

飲まずにはいられないという心境は、生前の父も同じだったのかも知れない。しかしその酒の味は、逝ってしまった父と遺された我々とでは全く違うということを、我々家族が理解しなければならない。

父の時間は9月7日で止まってしまったが、我々の時間は黙っていても刻々と動いている。
この悲しみは、一生消えるものではないと思っている一方で、我々も一緒に時間を止めていてはダメなのだということを、今は言い聞かせている。

父が忽然と姿を消したことで、我々家族はいろんな意味でどん底に突き落とされた。

でも、そのどん底から這い上がる術を我々は身につけなければならないし、父のためにも生きなければならない。

しかしながら、どれからどうやって手を付けたらいいのか、実はまだ整理が全然ついていない状況で、これから相当長い時間を掛けていろんなものを整理して行かなければならないんだと思っている。

その一方で、「ひょっとしたら誰かが何とかしてくれるんじゃないだろうか」なんていう甘い考えを持っているのも事実で、そんな自分自身に対してちょっと不甲斐なさを感じている。

父が遺した「宿題」は、とてつもなく難解である。

父が亡くなった翌日、駆けつけて下さった方々から「これから先、いろんな噂が飛び交うと思うけど、一切耳を傾けるな」と助言を頂いた。
その後、徐々に我々の耳にも聞こえてくるようになった。いや、正確に言えば、ご丁寧にも我々の耳に届けて下さる「メッセンジャー」がいたのだ。全くもって迷惑な話である。

父は、複数のサラ金から多額の借金をしていた。

父は、先に倒産した老舗スーパーに、多額の売掛金を踏み倒された。

「メッセンジャー」から聞いた「事実まがいの噂」を聞いて、僕は呆れるしかなかった。

この「噂まがいの事実」を流した人たちにお会いして、是非お伺いしたい。

それは父の口から直接聞いた話なのか。
でなければ、何を根拠にこういった「事実」が出てきたのか。

もしこれらの話が「事実」でないとするのであれば、是非父本人のところに行って事実関係を確認して下さい。

嗚呼、実にアホらしい。

それともあれだろうか、今後は戸籍を売ったとかそんな噂が飛び交うのだろうか。

人の噂も七十五日までだそうだ。

しかし父は一体、どんな思いでこの「事実」を受け入れているのだろうか。

母はこの噂を耳にし、嘆き悲しむしかなかったようだ。
でも、多分父ならこう言っただろう。
「フンッ!!ナンモ勝手に喋らせておげばいいッキャ!!」

ただ、僕は息子として、父に対するこの「噂」をすんなりと受け入れるわけにはいかないのだ。

残念ながら弘前市は思った以上に狭い地域であり、教養娯楽が少ない街なのだろう。だから、他人の不幸を酒の肴あるいは世間話にして面白可笑しくネタにしてしまう人がいるということ。これは、間違いのない事実。
その一方で、そのくだらないネタが我々の耳にも届いていること、更にそのくだらないネタが、我々を苦しませているということを踏まえ、今は声を大にしていいたい。

父にまつわる勝手な噂を流布したあなた達を、僕は一生許さない。